「どの口が言うとんねん」――テレビ出演者の精神的堕落
前回のブログで、NHK「クローズアップ現代+」のディレクターさんを始めとするテレビ制作者たちの精神的堕落について書いたのですが、今回はテレビの出演者の精神的堕落について書くことにします。
週刊文春12月7日号に載った「宮根誠司・隠し子の母激白」という記事を巡る問題です。
記事の内容は、かって宮根くんと恋愛関係にあった女性が、彼の子供を産んで育ててきた過程において、彼のついた嘘を明らかにして不実を責める、というものでした。
ここで、僕が「宮根くん」と呼んでいる理由は、今からもう20年ほど前になりますが、まだ彼が朝日放送の社員アナウンサーであった頃に、僕が「おはよう朝日です」という番組の担当制作部長をしていたからで、彼とは先輩後輩・上司部下の関係にあったからです。
問題は、「都合の悪いことは隠す」こと
で、僕が問題にするのは、文春の記事内容ではありません。
そもそも、こういったスキャンダル記事の内実は、当事者にしかわからないもので、事の真偽は他人がとやかく言っても仕方のないことだと、僕は思っています。
問題なのは、この「立派なスキャンダル」に対する、宮根くんを始めとするテレビ出演者たちや番組制作者たちの対応する態度です。
11月30日(木)に週刊文春が発売されてから、宮根くん本人も、テレビ番組「ミヤネ屋」も、いっさいこの問題について触れていません。
そして、他局のワイド情報番組でも、この件についてはいっさい触れてないようです。
(すべての情報番組を見ているわけではないので、もし扱った番組があったら教えて下さい)
これって、おかしくないですか?
視聴者一般の感覚からして、とても変ですよね。
「ベッキーと川谷絵音の不倫」「松居和代と船越栄一郎」「山尾志桜里議員の不倫」など、など。
週刊誌が発信元のスキャンダルを、大勢のスタッフを動員して追いかけて、厖大なエネルギーを費やしてパネルや素材VTRを作って長時間にわたって特集していたのは「ミヤネ屋」を始めとする情報番組でしたよね。
本来は「個人のプライバシー」に属する事柄までを、「マスコミの知る権利」なる理不尽な権力を振りかざして、世間に晒していたのはあなた達ではないのですか。
「政治家の疑惑」についても、「大相撲の日馬富士と貴ノ岩」についても、何度も「当事者にきちんと説明して欲しいものです」という発言を聞きました。
他人のスキャンダルについて、あれほど厳しく執拗に迫ってきた宮根くんと「ミヤネ屋」の皆さんが、自分のことについては一切語らないというのは理屈に合いません。
自分のことは棚に上げて、他人のしくじりや失態をあげつらう、それは卑怯なふるまいであり、精神的に堕落した行いです。
僕が宮根誠司を評価した理由
僕は、拙著『お笑い芸人の言語学』において、タレント・宮根誠司をかなり高く評価しました。それは、彼が政治や経済や国際といった、通常は「難しい業界用語」で語られているフィールドを、「まぁ、いやぁ、ほぼほぼこういうことでっしゃろ」などの庶民の生活感覚に基づく「生活ことば」で語ってくれた数少ないタレントだからです。
それこそが、宮根誠司の魅力の根源であり、「ミヤネ屋」が大阪制作にも拘わらず全国ネットたりえている本当の理由だと僕は考えています。
宮根くん、君が大切にすべきは「生活ことば」で語られる、庶民の「生活感覚」ではないのでしょうか。
現在の君に多くの視聴者は、その「生活感覚」に依拠してこう言うでしょう。
「宮根はん、そりゃないわ」
そして、今後あなたが政治家や有名人に「誠実な説明」を求めた時には、
「どの口が言うとんねん」と突っ込むでしょう。
これは蛇足かもしれませんが……
宮根くん、あなたのしくじりは、彼女と恋愛をし子どもを設けたことではありません。
それは、あくまで個人的な恋愛の一実態です。
彼女をして、「週刊誌への告白」という「社会的な形」を取るように追いこんだことが失態なのです。
個人的な問題の範疇を超えて「社会的な形」を取ったことがらは、「社会的な対応」でしか収束できないものです。
あなたの取るべき対処法は、「公器たるテレビ」を仕事の場としているあなたが、そのテレビの中できちんと彼女に対応して、問題を個人の事柄に収納することです。
それが、はからずも「社会的な場」に引っ張り出されてしまって困惑しているであろう、あなたを大好きだと言ってくれている娘さんの個人的尊厳を守る唯一の対処法だと、僕は思うのです。
ジャーナリストって何をする人なんですか
そして、もっと問題にすべきは、宮根くんを取り巻いている出演者の皆さんです。
春川正明さん、あなたは読売テレビの解説委員長であり元報道部長でしょう。
橋下五郎さん、あなたは読売新聞の特別編集委員でしょう。
お二人とも、組織に属しているとはいえ、「ジャーナリスト」の肩書きを持って言説を張っている方なのではないですか。
「ジャーナリスト」の本旨は、「社会的権力」の不正や歪みを突くところにあります。
そして、現在の日本において「テレビ自身が強大な社会的権力」であることは明らかです。
お二人には、そのことを是非とも周囲の人々に教え諭して、テレビ制作者やテレビ出演者の精神的堕落に自覚を促して欲しい、と思うものです。
最後に、僕は決して「スキャンダル」が好きではありません。
しかし、「スキャンダル」の社会的効用は認める者です。
それは「スキャンダル」とは、権力を持たない一般民衆が「権力」に対抗できる一つの手段であるからです。
偉い政治家や、有名なタレントを悪く言える「スキャンダル」が成立する日本は、その限りにおいて、健全な民主主義社会であると言えるのです。