吉村的流行語大賞は……
近頃、世の多くの人もすなるブログといふものを、我もしてみんとしてすなり。
てな訳で、今日から、吉村誠ブログ「いとをかし」を始めます。
もともと友だち仲間としゃべる時に、話の終わりに「そうであることよ、いとをかし」
なんて言ってたのを看板にしたんですが、そう言えば吉本興業の若手芸人ネイビーズアフロの毎月のイベントタイトルが「いとをかし」でしたよね。
かぶってしまいましたが、ゴメンナサイね。
吉村的流行語大賞は「ち―が―う―だ―ろ―!」
さて、年末恒例「流行語大賞」の候補30語が11月10日に発表されましたね。
いつも楽しみながら見ていたのですが、今年は同日発売の『現代用語の基礎知識・創刊70周年号』に「ギャグで感じる70年」という文章を書いたこともあって、ひときわ興味を持って30語を見たのでありますよ。
で、で、「ち―が―う―だ―ろ―!」ですよ。
最初に字面を見て、「えっ、これ何やったかな、誰が言うたんやったかな」と、一瞬ピンとこなかったんですよね。そのうち「そうや、頭が欠けてるわ」と思い出しました。
これって、やっぱり「このハゲ―!」が頭にあって初めて完成句ですよね。
「このハゲ―!ち―が―う―だ―ろ―!」でこそ、あの豊田真由子議員の美しい顔が目に浮かんでくるのです。(僕は、真由子さまはかなりの美人だと思っています)
更には、実際の発声に近い表記にして、
「このハゲェ―っ!ちがうゥだァろォ―っ!」
と、一音ずつはっきり書けばなお一層、美人の真由子さまが怒り狂って叫んでいる声が聞こえてくるような気がします。
多分、世の中の多くの人が実際にこの言葉を口にする時には、成句の全体をしゃべっているでしょうね。
でも、まぁそこは、30語を選んだ「現代用語の基礎知識」の編集部さんたちからすれば「頭髪の薄い人たち」や「世間」に対する、まさしく「忖度」で「ち―が―う―だ―ろ―!」となったのでしょう。これこそ、いとをかし、ですね。
「活きたことば」はこういうことです
それはさておき、僕の中では、「2017年流行語大賞」は間違いなくこれに決まり!です。
2017年に、小さな子供から、若い男女、おっちゃんおばちゃん、じいちゃんばあちゃんに至るまでこれほど日本人の一般民衆に使われた言葉はないでしょう。
それは、30語の他の言葉のほとんどが作為的に「作られたことば」であるのに対して、この「ち―が―う―だ―ろ―!」だけが、生身の人間の身体からほとばしり出た「活き活きとしたことば」だったからですよね。この点において「強さ」が全く違います。
豊田真由子議員は、政治家としては何一つ功績らしきものを残しませんでしたが、「ことば」に関してはとても大きな功績を残したと言えるでしょう。
政治家の語る「ことば」や、マスコミで語られている「ことば」が、情報伝達のためだけの薄く弱い「ことば」であるのに対して、身体性に基づいた「ことば」が情緒に裏付けられた厚く強い「ことば」であることを彼女は身を持って示してくれたのです。
ただ真由子さまの場合、使う場所と使う相手を間違えていたのですが、ね。
予算委員会なんかで、あんな「ことば」で質問や追求をやってくれたら国会中継は視聴率30%間違いなしなんですけどねぇ。
おそらく、今の日本の言語空間に必要なのは、このようなことだと思います。
政治や経済や国際を、もっと「身体」や「生活」に密着した「ことば」で語ること。
思えば……
思えば、吉田茂の「バカヤロ―」だったり、池田勇人の「貧乏人は麦を喰え」だったり、小泉純一郎の「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」だったり、と歴史に残る政治家の「ことば」は決して高邁な言葉や難しい物言いではありません。
ですが、とてもよくわかる「ことば」なんですよね。
(もっともこれらの発言は、実際に話されたコンテクストからは後にマスコミによってデフォルメされているので、その点は補正して考えなければいけないのですが)
という訳で、吉村の選んだ「2017流行語大賞」は「ち―が―う―だ―ろ―!」でした。