吉村誠ブログ「いとをかし」

元朝日放送プロデューサーで元宝塚芸術大学教授の吉村が、いろいろ書きます。

NHK朝ドラ『なつぞら』が終わって

昨日、928日(土)、NHK朝ドラの『なつぞら』の最終回が放送されました。

記念すべき、朝ドラ第100作目、という触れ込みもあって放送中から色んな評価が飛び交いました。

さて、僕はテレビの業界で制作者として35年働いてきた立位置から、この『なつぞら』について少し、制作過程を解析しながら書いてみます。

www.nhk.or.jp

結論から言って、『なつぞら』はテレビ番組のプロ職人たちによる【Well Made ドラマ】(とてもよく出来たドラマ)だった、と思います。

作り手として評価する『なつぞら』 

まずは制作者を労わりたい

たくさんあるNHKのドラマ枠の中でも、「朝ドラ」と「大河ドラマ」は特別に格の高いドラマで、その担当になる、ということはテレビ番組の作り手としてとても名誉なことであると同時に、ものすごいプレッシャーでもあります。

特に今回は『朝ドラ第100作目』ということもあり、その期待値や要望は並み大抵なものでなかったことは容易に推測されます。

タイトルロールに名前を連ねた、「制作統括・磯智明」さん、「プロデューサー・福岡利武」さん、「演出・木村隆文」さん、そして「脚本・大森寿美男」さんはじめ制作スタッフの皆さん、ホントに長丁場お疲れさまでした。

同じく、テレビ番組の制作現場に身を置いていた者の一人として、心から敬意を表したいと思います。

 

さて、視聴者の皆さんにとっては「制作者の苦労」などはどうでもよくて、番組が面白いかどうかが評価の軸なのですが、今回は、その「視聴者の評価」と「表現制作者の気持ち」との関係を少し説明しながら『なつぞら』を振り返ってみようと思います。

NHKに限らず、実際のドラマの制作プロセスなどは、いわば「業界秘密」に属することで、決して表には出てこないものなので、ここから先は経験に基づく僕の推測が入ります。

 

経験から推測する朝ドラ制作期間

なつぞら』は、今年2019年の4月に放送が始まりました。

で、公表されたデータによれば、撮影は2018年の6月から北海道ロケに入っています。

当然、その時点ではドラマ前半部の「北海道篇」の台本は出来上がっているわけで、主要登場人物のキャスティングも決まっています。

美術スタッフや技術スタッフの事前作業を考えると、遅くとも20183月には台本が仕上がっていたと逆算できます。

とすると、脚本家・大森寿美男さんが「北海道篇」を執筆する時間を3ケ月だと推測して、2017年の年末には『なつぞら』全体のストーリー・プロット(筋書き)が出来ていた、と考えられます。

とすると、そのストーリー・プロットを考えていたのは?

そうですよね、2017年の夏の終わる頃から秋にかけて、となります。

 

「朝ドラ」プロデューサーになるには

2017年上半期の朝ドラは『ひよっこ』でした。10月からの下半期が『わろてんか』でした。

なんと、その頃に『なつぞら』の担当者たちは、20194月から放送される『第100回目の朝ドラ』の中味や筋書きを考え始めていたのです。

これって凄いことだと思いませんか。

何もないところから、およそ2年先の「半年間の連続テレビドラマ」を考えて形にする作業!

そのためには、過去の日本の社会思潮の流れを読み、ここ数年の表層風俗の変化を見取り、数年先の社会状況を自分たちなりに予測することが必要となります。

その上で、女優や男優の人気の上昇や下降を考慮して、さらには新しい才能の発掘も欠かせません。

こういったことが、「朝ドラ」をプロデュースする作業なんだ、ということを知ってもらいたいのです。

 

ドラマや映画を形にする場合、当初はプロデューサーやメイン演出家や脚本家の3人~4人による打ち合わせからスタートします。

何もないところから、ドラマの設定や筋書きを作りあげてゆく作業は小人数でなければできません。

創作は多数決ではなく、「発案」者が多すぎると、話しがまとまらないからです。

しかも、そこには必ず【縛り(制約条件)】があります。

それは一つは【予算】であり、一つは【内容】です。

自主映画のように、制作費を自分で出して作る場合なら、自分の思うようなものを作ってよいのですが、商業作品の場合にはそうはゆきません。NHKならば制作費の大元は視聴者からの聴取料なので、いわば「スポンサーは視聴者」ということになります。

したがって「多くの視聴者の意識」に応じるもの、という内容的な【縛り】がかかります。

特に、「恋愛」や「結婚」や「家庭」や「仕事」という生活上の価値観に関しては、マジョリティとしての社会通念に従わざるをえず、『なつぞら』でもそうでしたがある程度は予定調和的な帰結になってっしまいます。

その上で、今回は「100作目記念作品」という、いつも以上の内容的な【縛り】がありました。

それは、「朝ドラ」を貫流している「女性の成長物語」であり、「地方から都会へ」であり、「放送時の社会思潮」でした。

それらを踏まえた上で、制作者たちはなおかつ自分たちならではの「表現者としての志」も盛り込もうとします。

その結果として彼らが考え出したのが、「アニメーションという仕事の世界」「女性アニメーターの草分け」「北海道の開拓者精神」「戦争で離散した家族」というストーリー・プロットの核でした。

 

「ベタ」を馬鹿にしてはいけない!

ドラマの中盤あたり、「東京篇」の始め頃に少し展開がゆるんだ部分はありましたが、全体として『なつぞら』はプロのドラマ職人達による良く出来たドラマだと思います。

大森寿美男さんの脚本は、岡田恵和さんの『ひよっこ』や北川悦吏子さんの『半分、青い。』のように、その作家ならではの特出したセリフが多くはありませんでしたが、安心して泣けるセリフが随所に散りばめられていました。

「手練れのプロ」の脚本!だったと僕は評価します。

 

第146話、神楽坂の小料理屋で末妹・千遥(ちはる)の作る天丼を食べながら、

咲太郎「父さんの味だ」

なつ「ちがう、ちがうわ、思いだした、いつもお父さんが揚げた天ぷらを横でお母さんが作ってくれてたんだ」

咲太郎「人生の二番出汁だ、一番出汁があって二番出汁がある」

 

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泰樹じいちゃん「朝日を見ると気力が湧いてきた、ここであきらめるなと」

「なつ、おまえは、よく、東京を耕した」

これに遡るセリフですが、ドラマ前半部での、

「なつ、東京を耕してこい、開拓してこい!」

 

そして、ドラマ作りとして「上手い!」と思わせたのは、最終話の一日前155話に十勝・しばた牧場に嵐による停電騒動を起こして、乳牛たちが危険な目に合う場面を置いた所、です。

柴田家の家族たちは、昔ながらの手作業による乳絞りを余儀なくされ、過ぎし日のあれこれを嫌でも思いだすことになります。

その後で、

泰樹じいちゃん「いちばん大事なのは、働くことでも稼ぐことでもない、牛と生きることだ」

大団円前の小波乱、そして見事な「決めセリフ」でした。

 

これらを、「定番」「ベタ」と言って馬鹿にしてはいけません。

こうしたセリフを堂々と書いて使いこなすのこそ「職人技」なのです。

「ベタISベスト!」です。

「ベタ」とは、先人たちの「腕と知恵」の成果のかたまり、なのです。

若い表現制作者の中には、「ベタ」を軽視していきなり奇を衒った表現をする人がいますが、それは違います。「ベタ」を熟知した上で初めて「新奇さ」は生きるものなのです。

朝ドラ100作目の『なつぞら』は、色々なことを再発見させてくれました。

 

また、『なつぞら』によって、アニメーションにおける「作画監督」なる仕事や「キャラクター造形」なる仕事や「原画」と「動画」の違いなど、これまで良く知らなかった仕事のありさまが多くの人に知れたことも成果だと思います。

登場人物を通して、若き日の宮崎駿さんや高畑勲さんの姿を垣間見たのも楽しい出来事でした。

 

将来楽しみな若手俳優たち

『ひまわり』の松嶋菜々子から、『ちりとてちん』の貫地谷しほり、『どんど晴れ』の比嘉愛未、『おしん』の小林綾子から、『純ちゃんの応援歌』の山口智子、そして最後には『雲のじゅうたん』の浅茅陽子、と、朝ドラ歴代女優のオンパレードも話題となりました。

キャスティングを担当するプロデューサーと演出家にとっては大変な作業ですが、冥利に尽きるところでもあったことでしょう。

で、朝ドラで見逃してはいけないキャスティングは、「次代の俳優」のキャスティングです。

NHKのドラマ制作者たちが凄いなと思うのは、必要な【縛り】をこなしながら、必ず次代を担う俳優たちをキャスティングして育てている点です。

 

今回の『なつぞら』で言えば、咲太郎の子供時代を演じた「渡邉蒼(わたなべあお)」君、彼は大河ドラマ西郷どん』で西郷隆盛の子供時代も演じていました。期待の若手です。

もう一人は、なつの子供時代を演じた「粟野咲莉(あわのさり)」ちゃん。今、女の子の子役でもっとも自然な演技ができる人です。

そして、千遥を演じた清原果耶(きよはらかや)。彼女は既に『透明なゆりかご』で主役を演じており、もはや新人とは言えませんが。

 

この3人は、必ずや今後のNHKドラマのみならず日本のテレビドラマ界を背負う俳優になることでしょう。

他にもたくさん目を引く脇役の俳優が居ました。

今、日本の俳優ビジネスにおいては、NHKドラマと映画と小演劇が新人を発掘し中堅を育てて、民放テレビがその成果をいただくという構造になっています。

民放のテレビ人は、この点でもっと頑張らなければいけません。

 

近頃のNHKドラマ

さて、先日の参議院選挙で「N国(NHKから国民を守る党)」が話題を集めたことから、NHKの経営体質についての批判が数多くありますが、ことドラマについて言えば、僕は最近のNHKドラマは民放ドラマよりも意欲的なものがたくさんある、と思っています。

それは、NHKのドラマ制作者は民放のドラマ制作者に比べて時間的な余裕がある、ということや、民放のドラマ制作者ほどは目先の視聴率を気にしなくていい、という理由もあるのでしょうが。

それだけではなく、「表層現象の底を読み取ろう」という「表現者としての志」を感じることができるドラマがある、ということです。

 

その例をいくつか。

『だから私は推しました』(土曜夜1130分枠)

無名の地下アイドルグループのメンバーを熱烈に推す(応援する)オタク主人公の話。

サスペンス的な展開の中で、「承認欲求」や「自己確認」に迫られている現代の若者の心情を描き出そう、としています。

 

『それは経費で落ちません』(金曜夜10時枠)

先進企業ではない、中堅の石鹸会社「天天コーポレーション」の経理部に勤める主人公・森若紗名子。

ありきたりの「お仕事ドラマ」ではなく、少し古めかしいと思えるような会社の経理部の仕事を通して、「人間の集団としての企業」を描こうとしています。

 

『サギデカ』(土曜9時枠)

これも民放ドラマに多い「刑事もの」とは一味違う内容。

おれおれ詐欺」など、多発する現代的な詐欺事件を通して、そういった犯罪が起こる現代日本社会の底部に迫ろうとしています。

 

民放のテレビドラマが、「刑事もの」「医学もの」「医療もの」ばかりで、売れ筋俳優のキャスティング先行で作られている中で、今、NHKのドラマが面白いです。

こういった制作者の「表現者としての志」が、昨年の『透明なゆりかご』のような優れたドラマを産み出すのだと思います。

 

フィクションとノンフィクションの相互作用

1つの局の中で、優れたフィクションの作り手たちが居ると、必ず優れたノンフィクションの作り手たちが現れます。逆もあります。

これは僕の持論です。

で、今回はNHKのドラマについて書きましたが、今年の夏のNHKのドキュメンタリーは例年になく優れた作品がたくさんあったことを書き添えておきます。

 

NHKスペシャル『全貌 二・二六事件

       『激闘ガダルカナル・悲劇の指揮官』

いずれも見ごたえがありました。

入念な調査と、貴重な証言者の発掘を積み重ねたドキュメンタリーで、昭和史にはまだまだ解き明かすべき点がたくさんあるのだ、ということを教えてくれました。

 

結論

まだまだ、日本の「テレビという表現形式」には多くの可能性がある!

と思います。