近頃の女子大生ことば
「せんせぇー、最近、タピってますぅ?」
――は、はぁ、なんて、何のこと?――キョトンとしてる私に、
「今日、めっちゃ暑いんで、みんなでタピりに行ってきま~す。授業、ちょい休み」
――楽しそうに、しゃべりながら歩いてゆく女子大生たち。
女子大で教えていると、なんとなくはわかるけど、その実よくわからない「若者ことば」に触れることがよくあります。
「うつりゆくこそ、ことばなれ」で、「ことば」は様々な要因で変化をしてゆくものです。
そんな変化の中で、「若者ことば」は制度教育や社会的権威からの押し付けによる強制変化ではなく、「ことば」を使っている人間たちの欲求や要望による変化なので、「ことばを成長させる力」をはらんでいて、とても勉強になります。
そんな訳で、この春学期の間でとても面白く感じた「近頃の女子大生ことば」をとりあげてみました。
言語研究をしていらっしゃる方々、参考にして下さい。
「タピる」
このごろ若い女の子たちに大人気という「タピオカ」を飲むこと、食べること、のようです。
「先生、タピってますぅ?」とか、
「なぁ、授業さぼってタピりにいこか」
などと使うようです。
ちなみに、京都にも最近はたくさんの有名なタピオカのお店が出来ているようで、うちのクラスの学生たちに人気が高いのは、河原町にある「モッチャム」や「Sin an ju(シン・アンジュ)」だとか。
いつも修学旅行生はじめ、長い行列ができているそうです。
ちなみに私は、回転寿司「かっぱ寿司」のタピオカしか飲んだことがありません。
「『タピオカってキャッサバやん、芋やん』って言ってた友達が、今度タピりに行くらしくて感想を聞くのがとても楽しみ」という学生さんもいました。
ありよりのありであざまる水産!
さぁ、次は「わかものことば」満載だったコメントカードの一部です。
あなたはどれくらいわかりますか?
「このまえ友達に、『オケオール、いこ』言われて、『ありよりのありやな』おもって行ったらデンモクがクズで、萎え。
そしたら夜の2時ぐらいに、部屋まちがったオジサン入ってきて、草。
とりま楽しかったから良き。
誘ってくれて、あざまる水産!!」
いやぁ、おっちゃん先生にはわかりませんでした。
かなりの解説を受けて理解しました。
それでは逐語訳してみましょう。
「オケオール」……カラオケのオールナイト、ですね。
「カラオケボックスで朝まで歌おうよ」ということ。
「ありよりのあり」……「有り寄り、の有り」。「それもありやな」という時の「あり」ですね。「あり(有り)」か「なし(無し)」かをゾーン分けしたら、「あり」の方に近寄っている「あり(有り)」、とのことです。意訳すると「うん、まぁ、行ってもええよ」くらいの感じ、だそうです。
「デンモク」……カラオケを歌う時の「電子目次(デンシモクジ)」の省略形、なんだそうです。
「クズ」……乏しい、貧しい、良くない、の意味。
「萎え」……がっかりした時の「萎える」の短縮形。「萎えるわぁ」とか「萎えたわぁ」とか、と使います。
そして、「カラオケボックスに行ったら、曲の電子目次本が貧相で歌いたい曲目がなくて、がっかりしたわ」というところを、
「デンモクがクズで萎え」!
なんとみごとな省力化、ではありませんか。
「ことば」は、使う人間にとって便利なように省力化され短縮化されるものなのですが、ここまでみごとに縮めるとは。脱帽!しました。
「草」……これは、近頃の若者が良く使う「ことば」のひとつ、ですよね。「クサ」です、「そう」ではありません。もともと、ネットやツイッターで「笑う」を意味する「w」という記号を連ねて、「wwwww」などと書いて、「失笑」や「嘲笑」を表しています。それが「草」が生えているように見えることから、の変化です。馬鹿にして笑っている、ことの文字化、です。
「とりま」……「とりあえず、まぁ」の短縮形、ですね。
「あざまるスイサン」
口からオトにして出してみると、とても軽やかです。
なんとなくわかりますが、よくよく解説を聞いてみると、これが結構深い言語変化のプロセスを含んでおりました。
「あざまる」……「ありがとうございまーす。」が短縮化して変化したもの、だそうです。
まず、「ありがとうございま~す。」が、短くなって「あざま~す」に。
語尾の「~す。」の句点の「。」をオトにして「まる」と発声します。
全体をつなげて「あざまる」となります。
つまり、原文は「ありがとうございます 。(まる)」これを「あざまる」と言っているので、軽く聞こえますが使っている人の気持ちからすれば、かなり丁寧な気持ち、なのだそうです。ほんとに?
「水産(すいさん)」……これは何人かの学生にたずねたのですが、今のところ明確な解説は聞けませんでした。
何人かの解説を合わせたところでは、なんでも若者がよく使う居酒屋チェーン店に「磯丸水産」というお店があり、その「いそまるすいさん」のオトが、「あざまる」のオトに語呂合わせでつながった、らしいのですが、詳しいことはわかりませんでした。
ご存じの方、いらっしゃったら、教えて下さい。
それにしても、感嘆すべき言語変化です。
是非とも、口から出る「オト」にしてみてください。
「このまえ友達に『オケオール、いこ』言われて、『ありよりのありやな』おもって、行ったらデンモクがクズで、萎え。そしたら夜の2時ぐらいに、部屋まちがったオジサンが入ってきて、草。とりま楽しかったから良き。誘ってくれてあざまる水産!!」
ところで、徹夜でカラオケボックスに居た女の子たちは、その後どうしたんでしょうか。
動き始めた電車に乗って家に帰り、そこから寝直したんでしょうか。それとも徹夜のまま1限目の授業に出たんでしょうか。
まぁ、僕らの頃は、キャンパス近くの雀荘で徹夜マージャンしてそのまま1限目の授業へ行き、授業中はほとんど寝てたもんですが。
「エモい」
決して「エロい」の同類ではありません。
「エモーショナル(Emotinal)」を語源としており、しみじみとした感動や深い感情をあらわす時に言う、のだそうです。
実用例としては、
「いやぁ、こないだのアニメ、めちゃめちゃエモかったわぁ!」や、
「推しが、ひたすらエモい!」など。
補足ですが、「推し(おし)」とは、アイドルグループ等の中で自分が推薦しているメンバー。
「エモい」の段階表現としては、「激エモ」……激しく心動かされた時、に使う。
また、最高級の場合には「エモエモのエモ」という場合もある、とか。
別の学生によれば、「どうにも形容し難い感動があった場合に、『泣けたわ』とか言うよりも先に『エモかった』と言ってしまう」んですって。
また別の学生によれば、「深夜の高速道路や、真夜中のサービスエリアのように、独特の浮遊感や違和感を伴う、欠落のある美しさ」が「エモい」んだとか。
深い!じゃぁありませんか。
きっと、清少納言の「いとをかし」に通じているのでしょう。
「春はあけぼのがエモい!」
「しんどみが深い」
感嘆表現の続き、です。
「推しの舞台を観に行きました。ファンタジーやのに激おもやし、W主演の二人の関係性が激エモで、しんどみが深かった!」
なんとなくですが、わかります。
学生の解説によれば「激おも」は、「重々しい、重厚である」の意味で「おもしろい」の意味ではない、のだそうです。
「激エモ」は、「激しくエモーショナル」で、いたく心を揺さぶられた、の意味。
「しんどみが深い」は、心がしんどくなるくらい感動が深い、の意味なんだそうです。
この「しんどみ」の「み」は、「おもしろい」に対して「おもしろみに欠ける」、「高い」に対して「空の高みに」や、「深い」に対して「深みにはまる」のように、形容詞の語尾が変化して名詞化したもの、だと考えられます。
「しんどみが深い」と、一連で使うことが多いようです。
「り!」
使用例:「あした、3時、四条河原町のディズニーストアの前でな」「り!」
そうです、「了解(りょうかい)」の「り」ですね。
これで本当に通じているのかなぁ。
ある学生によれば、
「このあいだ、電車で女の子2人が、A『ま?』B『ま!』と話していました。多分、推測するに、A『まじ?』B『まじ!』だと思います。いや、せめて『じ』まで言えよ!と思ってしまいました」って。
「ワンチャン」
実際に使う場合は、「ワンチャンあるかも」などとなるようです。
実用例として、
「私には弟がいるのですが、めっちゃウザいので、家から居なくなればいいと思って、こないだジャニーズ事務所に勝手に履歴書を送ってやりました。ワンチャンあるかも、なので。早く居なくなって欲しいです」
前後の文脈からすると、「もしかしたら」「ひょとして」「万が一」の意味のよう。
「ワンチャンス」の短縮形なのでしょう。
で、別の学生が、
「私は家でしょっちゅう『ワンチャン』を使います。すると、ある日突然、お父さんが満面の笑みで『ワンチャン』を使ってきました」と。
いやぁ、きょうび、若い娘を持つお父さんも意思疎通に苦労してるんですねぇ。
「フッカル」
実用例は、「先生はフッ軽ですか? 私はまわりの人から『フッ軽』と言われています。このあいだ、友達と約束をして、電車2駅ぶんくらい自転車で行きました」。
「フッカル」すなわち「フッ軽」、「フットワークが軽い」の短縮形、のようです。
「ことば」には、「言語変化における経済性理論」というものがあります。
それは、「ことば」を使っている人間には「ことば」をより楽に使いたい、短くしたい、という気持ちが働くものだ、という考えです。
まさに、それを証明している事例だと思います。
「耐え(タエ)」
これはわかりますよね、「耐える」の名詞化です。
若者は、「これは耐えやな」とか「今日のテストは耐えたわぁ」とか使うんだとか。
「ムシル」
実用例「私の父は、家ではお酒をのんで酔っぱらってウザイので、いっつもムシられています」。
そうです、「無視する」が短縮化されて「無視る(ムシル)」になりました。
「詰む(ツム)」
実用例「さいきん、人間関係、詰んできました。 近々、占いに行ってこようと思います」
おそらくは「行き詰まる」の「行き」が欠けて、「詰まる」「詰む」となったものでしょう。
それにしても、打開策が「占い」でいいのかな?
さて、こういった「若者ことば」がどれだけ一般化して残っていくかはわかりません。
ですが、「若者ことば」をあなどってはいけないのです。
なぜなら、「ことば」というものは権力者や知識階級のものではなく、「ことば」を使って日々を生きている一般民衆のものだから、です。
無名の一般民衆が、暮らしの中で自分たちにとって使いやすいように「ことば」を変化させてゆくところにこそ、「ことば」の活力の源があるのです。
そして、その際に、一般民衆は「ことば」の本質が「オト」であることを誰よりもよく体感しており、「オト」の変化によって「ことば」が変わってゆくのだ、ということを実体験しているからです。
漢字や四文字熟語などの「文字の知識の価値」を押し付ける大学教授や文化人などに惑わされることなく、自在に「ことば」を使って生きている若者たちが居る!
まだまだ「日本語」には活力がある! そんなことを感じた春学期でした。