ハリウッド映画と日本のテレビドラマを、比べてはいけないけど
先週、アメリカのアカデミー賞が発表され、日本人として初めて辻一弘さんがメーキャップ賞を受賞したことが大きく報道されました。拍手!拍手!です。
で、その映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』。
チャーチルを演じた俳優、ゲイリー・オールドマンは主演男優賞に輝きました。
ハリウッド俳優の役作りは「ことば」から
一般公開に先立って、試写を見ました。
スゴイ!って、何が凄いかと言うと、スクリーンに映ってしゃべっている人間が、かのウィンストン・チャーチルその人にしか見えないんですよね。
もちろん、僕は本物のチャーチルに会ったことはないんですが、きっとチャーチルと言う人はこんな人間だったんだろうなぁ、と素直に思えるんです。
授賞式で映っていたゲイリー・オールドマンを見た時にその別人ぶりに改めて驚きました。
それほどまでに辻さんのメイクは素晴らしかったのですが、もう一つ忘れてならないのはゲイリー・オールドマンの役作りの努力です。
彼は、チャーチルの演説が英国民の心にしっかりと届くようにするために、まずは役作りを「声」から始めた、と言っています。
そして、「アクセントから訛りまで完璧なチャ―チルのトーンで話しながら」撮影現場に現れた、のだそうです。
「ことば」は、その人の人生そのもの、です。
産まれ育った地域、家庭の社会的な階層、によって必ずその人なりに訛っています。
チャーチルなら、オックスフォードの公爵家に生まれアイルランドで幼少期を過ごしたという、彼だけの歴史を背負った「ことば」で暮らしていたはずです。
こういうところに、ハリウッド映画の「ことば」についての見識を、僕は痛感するのです。
「ことば」に無頓着な日本のテレビドラマ
さて、翻って日本のテレビドラマについて。
2月28日にNHK・BSで、埼玉発地域ドラマ「越谷サイコー!」が放送されました。
NHKさいたまの制作という触れ込みでもあり、かなり期待して見たのですが、やはりザンネン!でした。
「越谷」だから、と言って僕が特別な「越谷なまり」を望んでいた訳ではありません。
が、あまりにも無思慮に、登場人物たちの誰もが「現代東京ことば」でしゃべっているのです。
お話は、埼玉県の越谷で長年続いている老舗の「伝助商店」を舞台に、おばあちゃんの病気をきっかけにして、若い孫娘が「わが町越谷」の魅力に気がついてゆく、というもの。
主人公の浦井加奈子には、あの『ひよっこ』で、有村架純のおさななじみ時子を演じて花開いた佐久間由衣。奥茨城訛りが可愛いかったです。
おばあちゃんの浦井良枝には竹下景子。
おちゃめな幽霊として出てくるご先祖さま役に佐藤二郎。
埼玉県は、今や東京のベッドタウンであるくらいに時間的にも東京に近いので、若い人が「東京ことば」にかなり近いことはよくわかります。
ですが、もともと埼玉県で暮らしている人たちの日常の「生活ことば」は、武州弁や茨城弁や秩父弁や群馬弁が混合しているのが自然です。
代表的な語尾でいえば、「~だいねぇ」とか「~だがねぇ」とか「~だべぇ」。
アクセントやイントネーションも微妙に「東京ことば」とは違います。
まして、竹下景子が演じていた良枝ばあちゃんは、産まれてからずっと越谷に住んでいる77歳なのですから、なにか訛りがあるのが自然です。
そして「伝助商店」に集う年寄りたちも、なにか訛りがあるのが自然です。
なのに、じいちゃんもばあちゃんも、みんな「現代の東京ことば」でした。
江戸時代から出て来たご先祖さまの伝助さんが、
「あのー、ウチがさぁー、日光街道の途中にあってさぁ」
「~しちゃってさぁ」「よくわかんないなぁー」
としゃべるのはファンキーなご先祖幽霊だから、と許せるかも知れません。
それにしても、これでは、いくら徳川家康の御屋敷跡や、三宮卯之助の力石や、桃の花の名所である川端、などの風景を映して、
「なんにもないように見えるけど、越谷には歴史があるんです」
「越谷は、いい町なんです」
と力説しても、「暮らしの魅力」は伝わらないのです。
それは、むりやりドラマの形を取った〈観光ビデオ〉でしかありません。
きっと「越谷」の町中の魚屋さんやコロッケ屋さんの店先では、そこで暮らしている人たちの、もっと活き活きとした会話が飛び交っていることでしょう。
川べりで犬を散歩させている人たちのすれ違いでは、もっと普段の挨拶ことばが交わされていることでしょう。
最近のNHKは、「地域再発見」や「新しいローカリズム」をうたって多くの番組を作るようになりました。
そのことはとても良いことだと思うのですが、制作者たちが取り組むべきは、美しい風景や歴史的建造物の皮相な紹介ではなく、「ローカリズム」の根本である「ことばと暮らし」について知ろうとする努力を深めることだ、と僕は思うのです。