吉村誠ブログ「いとをかし」

元朝日放送プロデューサーで元宝塚芸術大学教授の吉村が、いろいろ書きます。

ドラマ『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』が良かった!

いやぁ、何となく良さそうな予感がして、金曜日はドラマをリアルタイムで見たのです。
 

ytv・大阪よみうりテレビの60周年スペシャルドラマ『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』

良かった!です。
民放でも、これくらいのドラマが作れるんだ!ってことを実証してくれた出来でした。
東京キ―局には作れない内容のものでした。
 
その最大の理由は、ドラマの中の台詞のリアリティにあります。
やがては認められて世界的数学者となる岡潔(おかきよし)と、それを支えた妻みちの苦難と愛情の物語りなのですが、時代は戦前から戦中戦後、舞台は京都・奈良。
 
なので、当然のことながら登場人物たちの話す「生活ことば」は関西弁なまり、でなければいけません。
ですが、これが現在のテレビではなかなか出来ないのです。
それは、日本のテレビドラマのほとんどが東京キー局の制作によるもので、ドラマの中の「ことば」は「標準語、もしくは東京語」でなければならない、という間違った標準語主義が横行しているからです。
 
それに対して、昨夜の『天才を育てた女房』では、みち役の天海祐希岡潔役の佐々木蔵之介をはじめ、脇に生瀬勝久萬田久子内場勝則らを配して、登場人物の誰もが自然な「関西ことば」でしゃべっていました。
ドラマを見る方としては、これだけで一安心するのです。
 
「ちゃうのん?なんなん?」
「帰らへんのかいっ!」
「そうやったんか、やあらへん」
「きよっさん、ええかげんしいやぁ、もうあんたとは暮らしていけへん」
 
天海祐希は気丈な京女を、佐々木蔵之介は狂気と紙一重の数学者を実に活き活きと演じていました。
大人の役者がこうですから、3人の子役たちにも不自然さがありませんでした。
だいたい日本のドラマでは、子役がとても不自然な「標準語のセリフ」をしゃべるので、それだけで見ていて興ざめしてしまうんですよね。
 
で、最初と最後に、
「すみれはすみれ」
「スミレはスミレで、ただ咲けばええ、いうことです」
「でも、すみれは美しいなぁ」
ぴしっと決めてくれて、僕は思わずウルッときました。
数学者・岡潔の脳の中の思考を数字や図形で表すCGも効果的で、ハリウッド映画のようでした。
 
惜しむらくは、ドラマの最後ですね。
これだけの中味あるドラマだったのに、本編が終わったら5秒でCMの別音楽になる。
ハリウッド映画のエンドロールとまでは言いませんが、せめて1分間か30秒くらいは余韻を楽しむくらいのエンディングの作り方があるだろうに、と思いました。
 
でも、2018年になって見た民放ドラマの中では第1位の出来でした。
 
 

選手へのインタビューのことば

さてさて、これと対極的なのが『平昌オリンピック』です。
それは選手たちの競技そのものではなく、「選手へのインタビュー」です。
 
「今のお気持ちをお聞かせください」
「嬉しさをどなたに伝えたいですか」
 
日本のスポーツマスコミのインタビューは本当につまらない!です。
その理由が、インタビューするアナウンサー達の「標準語」にある、ということに早く気が付いて欲しいんですけどねぇ。
「情緒の裏付けのないことば」で聞かれたら、「嬉しく思います」とかいうよそゆきのことばしかかえってこないのは当然です。
 
選手たちへのインタビューを聞いていて、僕は思わず「金長・キンチョー」のかってのCMを思い出しました。
大滝秀治の演じるガンコ親父が、岸辺一徳演じる息子に、
『キンチョーはどうして水性にしたんだ?』と尋ねて、
息子が、
『それは地球のことを考えて・・・』と言い始めたとたんに、
『つまらん、おまえの話はツマラン』
『きれいごとを言うな』と怒る、あのCMです。
 
思うような演技や滑走ができなくて悔しさ溢れる表情の選手や、念願のメダルを手にして嬉しさが溢れるのを押さえられない選手を前にして、インタビューをするアナウンサーに対して、
『つまらん、おまえのインタビューは本当にツマラン!』
と何度も突っ込んだ僕でした。