吉村誠ブログ「いとをかし」

元朝日放送プロデューサーで元宝塚芸術大学教授の吉村が、いろいろ書きます。

圧巻の演技と演出――NHK「西郷どん」渡辺謙vs鹿賀丈史――ドラマのリアリティ

大学の前期授業終わり、なんだかんだで、twitterの更新も「いとをかし」ブログの更新も滞ってしまいました。「インフルエンザで倒れてるんちゃうかぁ」とメールで安否を気遣って下さった方々、ありがとうございました。誠さんは元気です。

 

真剣に見てるドラマってありますか?

さてさて、先日、女子大生たちと「ドラマのことば」とリアリティについて話をしていたら、学生に「せんせぇ、大丈夫ですよー」って言われました。

うんっ、どういうこと? と思う僕に、

「誰も、テレビのドラマがリアルなんて思ってませんからぁ。だってぇ、山田涼介や藤ケ谷大輔みたいな男子が身近にいるわけないしー、私たちだって広瀬すず吉岡里帆みたいに女子力パンパンじゃないですからぁ」

「みんな、ファンタジーだと思って見てるから安心して下さーい」

「それより、先生みたいに真剣にドラマ見てたら、面白くないでしょう」

 

うーんっ、なるほど!

と、変に納得させられたのでありました。

 

現代の若者にとって「テレビドラマ」はそんな位置付けなのかも知れませんね。

かつて「テレビドラマ」を喰い入るように見ていた僕達世代とは大きく違うようです。

でも翻って考えれば、それだけ「真剣に見る」に値するドラマが今は無い!って言うことの証しなんでしょうけどね。

 

さて、そんな中で、「生活ことば」の強さをしっかり認識しようと言っている僕としては、今期ドラマの最高作として、NHK大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』を強く推奨します。

前回のブログにも少し書きましたが、『西郷どん』は脚本・演出のレベルが違います。そして、それに応える俳優たちの演技力が素晴らしい、のです。

 

渡辺健と鹿賀丈史、圧巻の演技!

1月28日(日)放送の「西郷どん・第4回 新しき藩主」

での、渡辺謙鹿賀丈史、の二人の演技は圧巻でした。

薩摩藩主の座を譲ろうとしない父・斉興(なりおき・鹿賀丈史)に、退位を迫る嫡男・斉彬(なりあきら・渡辺謙)が、まさしく身命を賭して対峙するシーンでした。

 

斉興「わぁしが、易々と隠居すちょぉと思うとか」

斉彬「父上、薩摩の主にふさわしき振る舞いをなされませ」

斉興「わしゃぁ、おまえが、好かぁーん!」

斉彬「これは、父上と私の、最後のいくさです」

 

舶来物のピストルを取り出して、ロシアンルーレットで父・斉興に迫る息子・斉彬。

先に引き金を引く斉彬の必死の形相と涙。続いてピストルを渡され、震えながら引き金を引こうとする斉興の苦悶の表情と身震い。

渡辺謙鹿賀丈史、二人の俳優の渾身の演技!です。

 

いやぁ、実に見ごたえがありました。

日本のテレビドラマで、これだけの殺気迫るシーンは記憶にありません。

早くも2018年のテレビドラマ・ベストシーン賞を、お二人に差し上げたいと思います。

(ちなみに2017年は朝ドラ『ひよっこ』での木村佳乃さんで、

 「ちゃんと名前があります。」

 「茨城の奥茨城村で生まれ育った、矢田部実という人間を探してください、とお願いしてるのです」

 という台詞を、茨城訛りで涙を噛みしめてしゃべったシーン、でした。)

 

 リアリティはことばから

で、この場面のリアリティを成立させている最も大きい要素は、父・斉興(なりおき)と息子・斉彬(なりあきら)の二人がしゃべる「ことば」です。

斉興は「薩摩ことば」で、斉彬は「江戸ことば」です。

その理由は、斉興が薩摩で生まれ育ったのに対し、斉彬は嫡男でありながら江戸で生まれて江戸で育ってきたからです。

「ことば」は、その人の「生活」と「人生」を現します。

ここを的確に押さえていることが、ドラマシーンに奥行きを与えているのです。

 

若き日の西郷吉之助や大久保正助の先生である赤山靭負(あかやまゆきえ)が、切腹を命じられ死を覚悟して門弟たちを集めて語るシーン。

演じる俳優は沢村一樹です。

「こげんしてみたら、おはんらもこの芋と同じじゃな。

 この芋ちゅうのは、ひとつとして同じ形のもはなかぁ。

 この桶ん中入れて、ごろーっと洗えばお互いにぶつかり合うて、きれぇーに泥が落ちる。

 おはんらも同じじゃ。一人一人、姿、形も違えば、一人一人考え方も違う。

 これからもぶつかり合い、切磋琢磨して立派な侍になってくれぇ、それがオイの最後の願いじゃ」

沢村一樹は、鹿児島県の出身なので、今回の「セリフ作り」はそんなには難しくなかったかも知れません。

が、彼は去年の朝ドラ『ひよっこ』では、有村架純演じる主人公・矢田部みね子の父親である奥茨城村の農民・矢田部実を演じました。もちろん「茨城訛り」で。

 

俳優vs脚本家・演出家の思考力

『西郷どん』の優れている点は、脚本家と演出家が「ことばと生活」の関係をしっかりと捉えており、俳優陣がそれに応えて、脇役から子役に至るまで各々の登場人物が使う「ことば」を、しっかりと考えて修練しているところです。

「薩摩訛り」のせいで聞き取りにくいところがある、との視聴者評もあるようですが、気にすることはありません。だいたい僕たちの日常会話は、当事者以外は聞き取れない部分があるのが普通ですからね。そして、日本語は質的な同一性が高いので少しくらい聞き取れなくても充分に意味は通じています。

 

で、演じている俳優からすれば、この「ことば作りから役作りへ」というプロセスはかなりの役者エネルギーを使う作業です。民放テレビドラマの、安直な「標準語セリフ・東京語セリフ」に対応するのに比べて数十倍の役者エネルギーを使います。

これは、決して『西郷どん』が歴史ドラマであるからではなくて、たとえ現代ドラマであったとしても、ひとえにドラマ制作者の「ことばと生活」に対する思考力の問題です。

俳優は、脚本や演出の力量に応じて演技力を発揮するものなのです。

 

『西郷どん』に比べれば、民放ドラマに費やす役者のエネルギーは全く軽いものです。

セリフは、よほどのことが無いかぎり「標準語近似値としての現代東京語」で済みますし、そもそも「配役の使うことば」について注文を出す演出家なんてほとんど居ません。

「ことば作り」にそれだけ無神経だということは、人生の背景をも含めた「役作り」にも当然無頓着だということです。

顔の売れているアイドル男優や美人女優のキャスティングが何より大事な要素となっているので、彼らや彼女らに「生活感のあることば」を修練させる時間もありませんし、注文しても出来ないことがわかっている、という理由もあります。

 

こうして、人気アイドル男優と美人女優の取り合わせの組み換え、ドラマの舞台は東京、職場でも家庭内でも故郷でも「標準語・東京語」のセリフ、というテレビドラマが飽きもせず再生産されていきます。

 

その実、「ことばと生活」に鈍感なテレビ演出家たちは、優れた役者たちからは表現者としては見下されているのだ、ということに早く気づいて欲しいと思うのですが。

 

標準語でもいいドラマとよくないドラマ

さて、安直な「標準語・東京語」セリフばかりの民放ドラマですが、逆に言うと、ドラマの舞台が東京で、しかも仕事(ビジネスシーン)が中心の展開ならば、さほど違和感を感じることなく見れる、とも言えます。

それは、「標準語・東京語」が、「ビジネス日本語」だからです。

この観点を含んで、前回に続いて幾つかの僕なりのドラマ評を。

 

『BG・身辺警護人』テレビ朝日・木曜9時枠

木村拓哉(キムタク)ドラマ。テレ朝として木曜9時枠は牙城のドラマ枠です。

米倉涼子演じる大門未知子の『ドクターX』を手掛けた、かの内山聖子さんがGP。

さすがに共演者の粒がそろっていて、キムタクの押さえた演技にも渋さがあり、今のところ僕は毎回見ています。

第2回目の、裁判官夫妻の苦渋を描いた井上由美子脚本は良くできていた、と思います。

ただ、第1回目のように少し砕けた会話シーンで、

ボディガードが倒れちゃったら」「むき身になっちゃうでしょ」

「向こう、帰んないんだったら」

のように、促音便や撥音便がやたら出てくるといっぺんに興覚めします。

アイドルやアイドル出身タレントの会話には、この「~しちゃう」「~しないんだ」が頻発するもので、そこは演者本人や演出家が留意すべきでしょう。

ちなみに、これらに「~さぁ」を足すと、即席ものまね東京弁ができあがりますよね。

「僕さぁ、上野にパンダ見に行っちゃったりするんだけどさぁ」という風に。

 

『anone』日本テレビ・水曜10時枠

あの『カルテット』や『いつか、きっとこの恋を思い出して泣いてしまう』や、遡れば『東京ラブストーリー』を書いた阪本裕二の脚本で、演出は日テレが誇る水田伸生なので少し期待しました。

ショートカットの広瀬すずは可愛いのですが、ドラマ展開はわかりにくく複数の登場人物たちの出会いや繋がりに無理が目立つご都合主義ですね。

多分、親子関係に傷を抱える人たちをグランドホテル形式で結ぼうとしているんだと思いますが、それにしては必然性も奥行きも足りません。

田中裕子がシリアスで、小林聡美阿部サダヲがコミカルで、広瀬すずはどっちつかずで全体として何がなんだか良くわからないです。

そもそもドラマの展開場所、どこ設定なの?

 

前回も取り上げましたが、

『女子的生活』NHK金曜10時

うーん、やはり神戸や兵庫県の「生活ことば」は出てきませんでしたね。

女装の主人公・小川みき、が出身地である兵庫県香住に出張で帰るのですが、ドラマ展開は標準語。父親や兄貴との会話はときどき関西弁訛りで基本的には標準語。

「ありえへん」ですよねぇ。

かろうじて、添えもの人物として出てくる地方在住デザイナーの母役である山村紅葉が「いったい何をしとるんかねぇ、どんくさいわぁ」と関西弁訛り。

日本のテレビドラマはだいたいこうなんですよね。

主要登場人物は標準語で、筋運びに関係ない点景人物だけが地方訛り、でしゃべる。

もったいなかったですね、せっかく面白い題材のドラマに取り組んだのに。

 

ドキュメント72時間』がおもしろくて

で、思いがけない拾い物がありました。

それは、『女子的生活』のチャンネルをそのままにしていたら、NHKで9時50分から始まったドキュメント72時間でした。

1月19日には、東京の江東区にあるパン屋さんの店前の72時間。

人気のパン屋さんの紹介番組かな、と思ったら全く違いました。

そのパン屋さんにパンを買いに来る人達へのインタビューで綴る72時間、なのでした。

いやぁ、思いがけず聞き入ってしまいました。

しょっちゅう買いに来る奥さん、家族の朝食用で買いに来た女子高生、手作り野採と買ったパンを交換する老人仲間、車いすを押して1時間かけて歩いてきた老母と中年の娘さん。

72時間の定点観測インタビューで、見事に「2018年の東京下町の生活」を描き出していました。

 

1月26日には、年末年始にかけての青函連絡船の72時間。

青森から函館の往き来、に船に乗る人達へのインタビューで綴りました。

新婚旅行以来36年ぶりに乗るという老夫婦、そこには娘夫婦と孫がいました。出稼ぎで東京に行ってる中年男性が、北海道への帰省を終えて正月を待たずに再び東京へ帰る。

ひときわ印象に残ったのは、21歳の長距離トラックの運転手さん。

「オヤジ、トラックの運転手で、オヤジ亡くなっでぇ・・・」

そして、高校で同級生だったという3人の若者、そのうち一人は東京で大学生、

「いいよね、帰ってきたら標準語使わなくていいからね」

「『おれ』『わたし』って言わなくても、『わ』でいいからね」

2018年、日本の各地でちゃんと「生活ことば」で生きてる人たちが居るんだなぁ、と僕はしみじみと思ったのでありました。

 

 

テレビは、現代の私たちにとって「最大の言語教育メディア」の面を持っています。

テレビ番組制作に関わる人間が、もっと「ことば」と「生活」を考えることから、新しいテレビ表現が産まれるのではないか、と僕は考えています。