吉村誠ブログ「いとをかし」

元朝日放送プロデューサーで元宝塚芸術大学教授の吉村が、いろいろ書きます。

オウム事件とマスコミの報道責任について―今、もう一度、自己批判が必要ではないのか

今日、7月6日(金)に、麻原彰晃こと松本智津夫オウム真理教の元幹部7人の死刑が執行されたことが大きなニュースとして、新聞やテレビで報じられた。

それらの報道は、概して「この事件を風化させてはならない」とか、「二度とこのような事件を起こしてはいけない」などの文言で締めくくられているが、肝心なことが抜け落ちている。

それは、オウム真理教事件を伝えたマスコミ」の自己批評である。

 

オウム事件とマスコミ

オウム真理教事件」で、最も「風化させてはならない」のは、新聞・テレビといったマスメディアの反省である、と私は考えている。

それは、地下鉄サリン事件が起きた1995年時点において、大阪の民放テレビ局で情報番組のプロデューサーを担当しており、東京から発信される情報を受けて放送を続けていた私自身の経験と反省につながっているからだ。

 

しかしながら、今日の新聞各紙の夕刊や、テレビのニュース番組や情報番組を見ている限りにおいて、「マスコミの責任」について触れたものは全く無かった。

(もし、私が見逃した新聞やテレビ番組で「マスコミの責任」について発言したものがあったなら、是非教えていただきたい)

在京テレビ局の中では、フジテレビだけが夜8時から10時の「金曜プレミアム」枠で放送予定の内容を変更して、『緊急スペシャル 教祖麻原ら7人死刑執行 日本が震えたオウム事件の“真相”』を放送した。

内容は、一連の事件の時系列的な確認ではあったが、特番を組んで放送したという点においては評価すべきだと思う。

 

今年の3月に、東京拘置所に収容されていた13人の死刑囚のうち7人が全国5か所の拘置所に移送された時点で、死刑の執行が近日中に行われるであろうことはマスコミ人なら誰もが予想できることだ。

つまり、各テレビ局では、その日に向けて素材映像の編集は既に仕上がっていたはずだ。

 

であるからこそ、本来なら、どこの局よりも先駆けて「オウム特番」を放送しなければならないのはTBSであるはずだ。

なぜなら、オウム真理教事件」に関してTBSは、他のどの局よりも重い放送責任と罪を背負っているからだ。

 

TBSは責任を忘れてはいけない

と言うのは、「オウム真理教事件」が「平成最大の事件」であると同様に、「オウム真理教事件でのTBSの対応」が「平成最大のテレビマスコミの罪」であるからだ。

 

オウム真理教の犯した事件について知らない若い世代の視聴者も多い。また、TBSの犯した事件を知らずに働いている若いテレビマンも多い。

そのためにも、この「TBS事件」については「風化させることなく」語り続けなければならない、と思う。

 

それは、マスコミがオウム真理教について報道を始めた平成元年(1989年)に起った。

教祖麻原彰晃のインタビューを撮ったTBSの取材陣に対し、オウム幹部が放送前に内容確認を要求し、TBSスタッフはそれに応じて編集テープを見せ、更にはオウムを追求していた坂本弁護士のインタビューテープも見せたのである。

そして、オウム幹部らによる抗議に応じて放送を中止したのである。

それから10日後の1989年11月に坂本弁護士一家は謎の行方不明を遂げた。

この時、坂本弁護士一家はオウムによって殺害されていた。

 

やがて、オウムは1994年6月に長野県松本市サリンを散布し、1995年3月に東京の地下鉄でサリン事件を起こした。

この間に至るまで、TBSは1989年に自社スタッフが行ったことについて一切を隠していた。

やがて、地下鉄サリン事件で逮捕されたオウム幹部から「TBSでビデオテープを見た」ことが明らかになったが、それでもTBSは半年にわたってそれを否定し続けた。

 

結局、供述公開の前日になってTBS磯崎社長は記者会見でこれを認め、その日平成8年(1996年)3月25日の『筑紫哲也NEWS23』において、筑紫哲也が「TBSは今日、死んだに等しいと思います」と言ったのである。

 

これが、「TBSビデオテープ事件」と呼ばれるものである。

 

誰もが、筑紫哲也氏は『NEWS23』を降板するものだ、と思っただろう。

しかし筑紫氏は2007年まで番組キャスターを勤めた。

そして、日本テレビが「TBSが放映前の坂本弁護士のインタビューテープをオウム幹部に見せた」と報道した時に、TBS社員のキャスター杉尾秀哉氏は『ニュースの森』においてこれを完全否定した。

後にこれを認めざるを得なくなったのだが、その杉尾氏は現在参議院議員である。

 

そして、今日私がこのブログを書いている6日(金)深夜の時点で、TBSは「オウム特番」を組んではいない。

ニュース23』も、今夜は「FIFAワールドカップ準々決勝」と「ハイライト」のために休みである。

明日以降、TBSがどのような番組対応するのかを注目している。

そして、その中でTBSがどのように自己批評するのかを見守りたい。

 

報道責任はTBSだけではない

オウム真理教事件の報道」については、TBSだけではなく日本のすべてのマスコミはその責任を「風化させてはいけない」のだ。

それは、1994年の「松本サリン事件」の際の報道である。

全国紙各紙、NHKをはじめとするテレビ各局、すべてのマスコミが「第一通報者の河野義行さん」を被疑者として報道した。

捜査当局の見立てに追随した「横並び記者クラブ報道」の結果である。

 

河野さんの名誉が回復されたのは、1995年3月の地下鉄サリン事件の後、捜査当局が松本サリン事件もオウムによる犯行だと断定してからである。

この間の事情を追った『ニュースがまちがった日~高校生が追った松本サリン事件報道』を読むと、日本のマスコミの病理がよくわかる。

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「マスメディアは他人の批判は得意だが、自分が批判されることにとても弱い」という、松本美須々ヶ丘高校の高校生たちの素直な問題意識がジャーナリズムの本質を明示してくれている。

 

日本のマスコミにとって必要なもの、それは「自己批評の能力」である。

オウム事件・7人死刑執行」のニュースに接して、この30年間で日本のマスコミがどれだけ進歩したか、そこに注目したいと私は思っている。

気持ちを落ち着かせるべく『68歳の新入社員』を見ました。

昨日18日に大阪では震度6という大きな地震があって、大変な一日でした。

死傷者を知らせるアナウンサーのことばを聞き、火災の映像や噴き出す水の映像を見ながら、なんとも言えない気持ちでした。

それは、私が、1995年1月17日に起きた「阪神淡路大震災」の時に、朝日放送Cスタジオからの震災報道中継の総括ディレクターを一週間にわたってやった体験につながるものだったからです。

で、きのうは、自分の気持ちを落ち着かせるべく、倒れて散らばった本類を片付け、夜にはニュースの合間にテレビドラマを見ました。

 そんな訳で、今日は「6月のテレビドラマ」についての感想です。

 

 フジ月9枠『68歳の新入社員』 6月18日午後9時~11時

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なんと言っても注目していたのは、岡田惠和の脚本でした。

設定が、高畑充希演じる若い女性上司と草刈正雄演じる68歳の再就職オッサンとの二人物語なので、誰しもナンシー・マイヤーズ脚本・監督のマイ・インターンを思い浮かべただろうと思います。

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が、そこはさすがNHK朝ドラ『ひよっこ』を書いた岡田惠和でした。

定年を迎えた「団塊の世代」の仕事観や家庭観と、若い世代の仕事観や恋愛観、という現代日本ならではの問題をしっかりと押さえていましたね。

笹野高史が演じる68歳の再就職オッサンが実は社長の隠密探偵であった、という面白スパイスを効かせて、予定調和ではありますが心地よい収束のさせ方でした。

視聴率は関東で7.6%、関西で9.1%。

決して高い数字ではありませんが、『68歳の新入社員』には、現代の日本社会をドラマという形式において捉えようとするテレビ制作者の心意気が感じられました。

こういうドラマをちゃんと社内で評価できるかどうか、という点にフジテレビの今後の再生がかかっている、と僕は見ています。

 

元・業界人として注目しているところ

と言うのは、元・業界人としてもう一つの注目すべき点が、このドラマがフジテレビ制作ではなく準キー局関西テレビ制作」だったということです。

関テレの局Pが萩原崇、制作プロダクションの共同テレビPが水野綾子

演出は共テレ河野圭太、ドラマ『古畑任三郎』や映画『椿山課長の七日間』を監督した演出家。

そうなんですね、月曜9時枠ということは、「月9」と呼ばれるフジテレビにとっての看板ドラマ枠なんです。

その枠で準キ―局の関西テレビが2時間ドラマを作った、ということが面白いのです。

しかも、テーマ設定と言い、高畑充希草刈正雄のキャスティングと言い、決して派手なものではありません。

でも実はそこが大事なのです。

 

フジドラマの表現思想はどこに?

前クールは、長澤まさみ東出昌大の『コンフィデンシャルSP』、前々クールは芳根京子で人気マンガ原作の『海月姫』。

この10年間のフジテレビのドラマは目先の視聴率を取るためにと、事前の派手な話題作りができそうな企画ばかりを並べて、売れっ子俳優のキャスティング優先策や人気の原作頼りで、ドラマの内容で勝負しようという作り手の表現思想性を感じさせるようなものがありませんでした。

そんな中には、地味ながらも時代を捉えようとした坂本祐二脚本のいつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうのような秀作もあったのですが、目先の視聴率という営業・編成の論理に押されて、後続を産み出すことができないで迷走に戻ってしまったのです。

視聴者だけでなく、志ある脚本家や俳優たちが離れていった理由はここにあります。

 

今回の『68歳の新入社員』は、おそらく4月クールと7月クールの「月9」の狭間に成立した「単発2時間・関西テレビ制作ドラマ」だと推測しますが、低迷著しいフジテレビドラマの再生策のヒントを孕んでいる、と思います。

たかがテレビとは言え、その根底をなしているのはやはり作り手の「表現思想」の有無と僕は考えています。

 

NHK大河ドラマ『西郷どん』 6月3日奄美大島篇「別れの朝」

以前にも取り上げましたが、「表現思想」という点において、やはり大河ドラマは格段に優れています。

すでにお話は6月17日OA「寺田屋騒動」で、幕末の男たちのドラマへと動いていますが

ここでは、5月13日・第18話から6月3日・第21話まで4回にわたって描かれた「奄美大島篇」を取り上げます。

この4話は、近年のテレビドラマで稀に見るほどの秀逸な出来映えです。

薩摩藩の裕福な財政の背後には奄美大島への植民地的な圧政があった、という歴史的な背景をしっかりと描いていること。

島の生活を描くために、島の「生活ことば」をできるだけ忠実に再現し、視聴者にわかりにくいと思われるセリフは現代共通語の字幕スーパーで表示したこと。

柄本明二階堂ふみ、らの俳優陣が「島の生活ことば」を実によく修練して演技していること。

 

何度見ても泣ける二階堂ふみの演技 

なかでも、西郷の妻の愛加那を演じる二階堂ふみは、素晴らしい演技!です。

6月3日放送の「別れの朝」で、薩摩への帰藩命令が出た西郷吉之助との離別のシーン。

吉之助「愛加那、おまえに話しがある」

愛加那「うん、わかりおした」

吉之助「まだ、なんも話しちょらん」

愛加那「ずっと前からわかってるさぁ。薩摩に帰るんだね」

吉之助「じゃっどん、必ず戻ってくる」

   「おいの役目が終わったら、おはんと菊次郎とその子のために戻ってくる」

 

愛加那――ゆっくりと島唄を歌い始める――

   「果報(かふ)なくとぅ あらしたぼれ」(幸せなことがあるように)

   「汝(な)きゃが先々」(あなたの未来に)

 

奄美大島の抜けるように美しい海に腰までつかりながら、吉之助に抱きついて、身体の奥から絞り出すように島唄を歌い続ける愛加那。

 

そして、3年の暮らしの後に薩摩に帰って行った西郷吉之助への想いを振り切るように、

「みんなぁー、あと、しゅーうきばりしゃぁ!」(もうひとがんばりだよぉー)

と、幼い菊次郎を背に抱いて、サトウキビ刈りの皆に大きく声を掛ける愛加那。

 

林真理子が降ってきた

なるほど、やっとわかった、と僕は思いました。

司馬遼太郎はじめ、多くの先人たちが既に描いた「幕末の偉人・西郷隆盛」という人物を、なぜ林真理子が、今、改めて描いたのか、がです。

林真理子は、きっと、この愛加那という女性の視点を得たことにより、林真理子ならではの「西郷どん」を観たのだ、と思います。

その意味で、愛加那こそが「林真理子の西郷どん」の主人公なのだ、と。

そして、原作者・林真理子と脚本家・中園ミホの期待を裏切ることなく、二階堂ふみは見事に「愛加那――愛しい女性」を演じたのです。

 

昨日、18日の大阪の地震で僕の本棚からはたくさんの本が散らばりました。

そして、それらの本を片付けている中に、なんと『ルンルンを買っておうちに帰ろう』があったのです。

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林真理子のデビュー作エッセイです。1982年(昭和57年)11月刊行。

とても単なる偶然とは思えませんでした。

「まえがき」には、これまでの女が描かなかった「ヒガミ・ネタミ・ソネミ」の視点から、「とにかく今まで女の人が絶対に書かなかったような本を書く」という、若き林真理子の意気込みが溢れていました。

もう一度、最初から読み直してみよう、と思います。

日大学長はなぜ真相究明に乗り気でないのか

学長の資格なし

日本大学の大塚吉兵衛学長の記者会見をニュースで見ました。

誰が見てもわかるように、内容空疎で、世間体をとりつくろう為にとりあえず格好をつけました、という記者会見でした。

これが、日本で最大の規模を誇る私立大学の学長か、と唖然としました。

 

日大の現役学生たちの幻滅した反応がテレビで報道されていました。

当然の反応であり、幻滅を感じる感覚の方が正しいことは言うまでもありません。

 

夜の各テレビ局のキャスターや、ゲスト出演している大学教授たちのコメントも的を外しています。あるいは、わかっていながらあえて的外れなコメントをしているのかも知れません。

各局のニュースキャスターたちは、そろって、「よくわからない記者会見でした」と述べていますが、そんなことはありません。

大塚学長の意図は、とても明瞭にわかります。

何が明瞭にわかるかというと、大塚学長は「私が能動的に事件の真相を解明する努力をするつもりはありません」と、態度表明しているではありませんか。

テレビメディアは、こういうことをはっきりと言わないから、多くの若者から「マスゴミ」と見離されてきているのです。

 

ポイントは「真相の解明」

日大アメフト事件で、最も大事なことは、「真相の解明」です。

宮川泰介さんの記者会見の内容と、内田監督・井上コーチの記者会見の内容、との食い違い、を解決する方法はただ一つ、「真相を明らかにすること」です。

そんなことは、誰でもがわかっていることです。

だからこそ、今日の大塚学長の記者会見に、多くの日大の学生や世間はある程度の期待を寄せたのです。

学長ともあろう人なのだから、「真相の解明」について何かは進展的なことを言ってくれるだろう、と。

それなのに大塚氏は、両者の食い違いについては、「食い違っていますね」と他人事のように述べ、さらには「最近の若者にはわからないことがある、みなさんの会社でもそうでしょう」などと小笑いしながら記者に話しかけました。

多くの日大生や保護者の期待を見事に裏切った点において、大塚学長は昨日の米倉久邦氏以上に、大きな失態を演じたと言えるでしょう。

テレビのインタビューに答えていた日大の学生の、「日大らしいですね」という自虐的な答えを聞いて、私は少し悲しくなりました。

 

私立大学の教員と経営側の権力差

大塚学長の記者会見を見て、「どうして学長は、真相解明に努力する」と言ってくれなかったんだろう、と疑問を抱いた方もいらっしゃると思います。

日本の私立大学においては、経営者たる理事長と理事会が絶大な権力をもっていて、教員は教授であろうと学部長であろうと学長であろうと、すべて雇われている従業員に過ぎないのです。

だから、大塚学長も、経営者たる内田監督に不利になるような発言はしないのです。

同様に、テレビにコメントを求められた日大の危機管理学部の教授も、「対応の仕方がまずかった」などと、事の本質からは外れた発言をしているのです。

つまり、学長も教授も、「真相の解明」が最重要なことだとわかっていたとしても、自分の立場を守るためには経営者たる内田監督に不利になるような発言をしないのです。

 

とても悲しいことですが、これが日本の私立大学の教学の実態なのです。

 

大学教授だった私が選んだ道

なぜ私が、こういう私学の実態について憚ることなく書けるか、という理由を言いますね。

それは、私が4年前に、学生をないがしろにした経営理事会に正面からぶつかり、その結果大学を辞めざるを得なくなった、という経験を持っているからです。

私が勤めていた芸術大学は、経営の論理を優先させて、教学の内容や学生生活の充溢を無視して、カリキュラム進行の半ばにもかかわらず、多くの専任教員をいきなり契約不更新するという暴挙に出たのでした。

私は、教学の内容を守るために最後まで理事会側と折衝を続けたのですが、一方では不当に解雇された教員たちを裁判で支える責務もあって、止むを得ず大学を辞めました。

 

大学の教員にとって、専任教員たる資格を失うことは大変苦しいことです。

「大学教授」という肩書も失いますし、安定した給料もなくなります。

ですから、日大の専任教員の皆さん方が、自分の立場と生活を守るために、内田監督に代表される経営者側に「真相解明」の声を上げられない、という心情もよくわかります。

しかし、およそ高等教育に携わる者であれば、何よりも「人間としてのまっとうな生き方」を学生に示すことが第一義なのではないでしょうか。

 

日本大学の専任教員のみなさん、あなたがたの教育者としての誇りを見せてください。

多くの日本大学の学生たちを失望させないでください。

 

私は、専任教員の座を捨てたことにより、経済的には苦しくなりましたが、こうしてブログやツイッターで自分の信じることを堂々と述べる精神的自由を保持することができました。

また、私の生き方に賛成してくれた多くの学生たちの信頼を得ることができました。

 

日大アメフト部の学生諸君に

こうした私の経験を踏まえた上で、日本大学アメフト部の部員のみなさんに贈るエールをさきほどツイッターに書きました。

 

 

今、日本大学の名誉を守ることができるのは、君たちだけなのです!

日大アメフト部の監督・コーチの記者会見、について

日大アメフト部の悪質タックル問題については、新聞やテレビやネット上で既に多くの人が発言をしていますが、現在大学の教壇に立つ者の一人として、私は大変な怒りを感じており、このブログで私の考えを述べます。

 

結論を先に言うと、日大アメフト部の内田監督と井上コーチ、ならびに12人のコーチは大学教育に携わる資格もないし、およそ教育に携わるべきではないし、即刻退場すべきだと、私は考えます。

そして、今、大学教育に関わっている者はそれぞれの立場からこの問題に対する自分の考えを明らかにすべきであり、特に日本大学で教員の立場にある人たちは自分の考えを明らかにする責務がある、と考えます。

ことは、それほど大きな問題だと思うのです。

 

内田監督と井上コーチの記者会見

23日に行われた内田監督と井上コーチの記者会見での発言が、どれほど不誠実で愚劣なものであったかは、もはや誰の目にも明らかです。

ここでは、私なりの解析を付け加えます。

私は大学で、「ことば・言葉」から、コミュニケーション表現と表現の意図を読み取る、という講義をしています。

それは、実際に「話されたことば」、実際に「文字で書かれた言葉」から、その表現を発した人間の意図を読み解く、というものです。

 

この視点から見ると、22日に行われた宮川泰介さんの記者会見と、23日に行われた内田監督・井上コーチの記者会見、との落差は明瞭にわかります。

まず、宮川泰介さんの会見での発言では、

「監督から『日本代表に行っちゃダメだよ』と言われました」や、

「井上コーチから、『監督に、お前をどうしたら試合に出せるか聞いたら、相手のQBを1プレー目で潰せば出してやると言われた』と言われました」など、

監督やコーチが実際に「話したことば」が、きちんと記述されています。

 

それに対して、内田監督と井上コーチの会見での発言は、

「『相手のQBを1プレー目で潰したら出してやる』とは言っていない」や、

「『相手のQBがけがをして秋の試合に出られなくなったらこっちの得だろう』とは言っていない」とかで、

記者からの、「それでは、何と言ったのですか?」という質問には答えていません。

つまり、内田監督と井上コーチの会見の意図は、宮川さんの発言を否定することが目的であり、自分たちが実際にしゃべった「ことば」の事実確認にはないことが分かります。

どのように取り繕おうとも、内田監督と井上コーチと日大経営陣は、反則行為の責任は解釈間違いをした宮川泰介さんにあるのだ、という論理を展開していることが明らかです。

 

日本の情報化社会の現状を知らない日大人

今日、私は授業の中で、両者の記者会見での発言を比較対照して解析しました。

受講している多くの学生たちは、この問題については皆が強い関心を持っていました。

それは、事件の場が大学という場であること、宮川さんが20歳の大学生であるということ、からして多くの学生たちが親近感と当事者意識を持ってこの事件を見ていることを表しています。

そして、多くの学生たちが、新聞やテレビといったマスメディアからだけではなく、SNSによって、早く詳しく情報を得ているのです。

 

内田監督、ならびに日本大学の関係者諸氏は、現在の日本の情報社会の現状について無知、もしくはなめている、と言うしかありません。

誰が考えたのか、午後8時という会見時間の設定も、これまでのようなマスメディア認識からすれば、最もテレビ生中継されにくい時間を選んだつもりなのでしょうが、SNSの広まっている現状からすれば全く意味をなしていないのです。

 

旧態依然たるメディア感覚は、会見を司会していた人の対応にも表れていました。

あの方が、米倉久邦(よねくらひさくに)という人で、共同通信社論説委員長をして2002年に退社して現在は日大広報部の顧問をしている76歳だ、ということが新聞やテレビよりも早く、ネットを通して世間に知れるのが、今の日本の情報化社会なのです。

あの米倉さんの司会進行ぶりと、その意識がいかに時代遅れのものであるかが、日本大学という組織の現状を露呈してしまいました。

 

それは、米倉さんが、会見を無理やり打ち切って、予定どおりに会見最後の「内田監督と井上コーチの今後」についてを語るところにも表れていました。

「第三者委員会を立ち上げて、その結論が出るまでは謹慎して常務理事を一時停止して、その後は大学の決定にしたがいます」

もっともらしい発言の背後に、自分に都合の良いメンバーを選んで第三者委員会という体裁を整えて、それで禊が済むまではおとなしくしておけば世間は忘れるだろうから、という意図があるくらいは子どもにでもわかります。

さらに内田監督は日大の常務理事であり、「大学の決定」というのも自分の意思を反映させたものに出来うる立場です。

内田前監督と日大経営陣は、世間をなめきっています。

このような人たちが大学という教育機関に携わっていることに驚くばかりです。

 

最大の被害者は日大生

こんな日本大学に、危機管理学部が存在しているとは、もはやギャグでしかありません。

学生諸君に罪はないのですが、残念ながらこれから日大生の諸君は大きな被害をこうむることを覚悟しなければならないでしょう。

現在、就職活動中の日大の学生さんは、エントリーシートに「日本大学・危機管理学部」と書くだけで、相当のビハインドになることを覚悟しておいてください。

それは、新入社員を採用しようとする企業の立場に立てば、自分の会社の危機管理からして当然のことなのです。

日大の学生を新入社員で採ったとして、社外にその社員を紹介するとき、あるいはその社員が営業で社外で自分の経歴を紹介するとき、もしかしたらその社員を採用した会社ごと適切な評価を得られない可能性があるからです。

同程度の志望者のエントリーシートが100枚並んでいるとしたら、企業の採用担当者は、自分の会社のことを考えて選択するのは止むを得ないのです。

だからこそ、最初に書いたように、今、最も声を出さなければならないのは日本大学で教員をしている人たちなのです。

勇気を持って、一人で、日本記者クラブの会見席に出て、同席していた弁護士にも頼らずに堂々と会見をした宮川泰介さんを守るためだけではなく、現在日本大学に籍を置いている学生すべてを守るために、日大の先生たちは頑張らなければならないのです。

 

教育者とは、学識や知識を教える前に、人間としての生き方を教えるべき者でなければならないのです。

今回の、日大アメフト部の問題は、単にひとつのラフプレーを巡る問題にとどまるものではなく、日本の大学教育全体に関わる、とても大きな問題なのだ、と私は考えています。

朝ドラ『半分、青い。』に、すっかりはまってもうたわ!

今期の、NHK朝ドラ半分、青い。岐阜篇に、はまってまいました。

いいです、いいです、ホントに素敵です。

 

4月の後半が、なんだかんだと忙しかったので、溜まっていたドラマをGWにまとめて見たんですが、半分、青い。で泣かされました。

そして、何度も「うまい!」「これはスゴイ!」と唸らされました。

脚本・演技者・演出陣、に拍手!です。

 

テレビの演出やプロデュースを35年やってきたので、バラエティを見てもドラマを見ても、どうしても業界人ぽく創り手の立場から見てしまうのですが、よく出来た番組はそんなことをすっかり忘れさせてくれて、単なる一人の観客にさせてくれます。

半分、青い。』は、創り手の意図や狙いがわかった上で、泣けて笑えるドラマです。

 

「母」なるもの

まず、圧巻のシーンを一つ。

5月3日(木)の放送シーンから。

左耳が聴こえないというハンディを背負っている娘の鈴愛(すずめ)の東京行きを許す、というシーンで、母親の晴(はる)さんが言うセリフです。

 

「あーたは、楽しいばっかりで、いいねぇ。

(ハァー、とため息をついて)おかあちゃんは、

(スン、と鼻をすすって)おかあちゃんは淋しくてたまらん。

 あんたは、もう、18かも知れんけど、おかあちゃんの中には、

 3つのあんたも、1つのあんたも、13歳のあんたも、

 全部いる、

 まだいる。

 (少し、間があって)

 おとなや、もう大人や、言われてもーー」

(晴さん、両手で顔をおおって、足早に茶の間を出ていく)

 

晴さんを演じる松雪泰子、渾身の演技です。見ていて、泣かされました。

母親というものは、こういうものなんだろうなぁ、と男の私はしみじみと思いました。

 

で、このセリフ!です。

「全部いる、」

「まだ居る。」

これ、書けないですよ。こんなセリフは、なかなか書けるものではありません。

聞いてて、私、痺れてまいました。

脚本家・北川悦吏子の、脚本家人生に残る会心の名台詞、だと思います。

これは、北川悦吏子さんその人が、持病に悩まされながら生きてきて、「こどもは産めないですよ」と言われていながらも奇跡的にこどもを授かった、という事実を知る時に、まさしく「人生で書いたセリフ!」なのだ、と感嘆してしまいました。

 

2018年テレビドラマ最優秀演技賞は松雪泰子

もう一つ、これも母親・晴さんのセリフ、です。

それは、4月12日(木)の第10話でした。

小学3年生になった娘の鈴愛(すずめ)が、おたふく風邪ウイルスの感染からくる「ムンプス難聴」で、左耳を失聴してしまい、そのことを医者から告げられる場面、です。

 

医者「しばらくはバランスが取りにくくなる。たとえば、自転車や階段など、日常生活に気をつけてあげてください。ただ、これは、やがて時がたてばーーー」

晴 「(はァ、と息を出して)なんでぇー、(ヒュッ、と息を吸い)なんで、あの子はこんなことになったんですか?」

医者「ですから、おたふく風邪のウイルスがーー」

晴 (そのセリフ尻にかぶせて)「そんなこと聞いとらん!」(じっと唇を噛みしめる)

医者「おかあさん、実は、片耳聴こえない患者さんは結構いらっしゃいます。

   しかし、みなさん頑張ってーー」

晴 (そのセリフ尻にかぶせて)「みなさんの話はどうでもいいっ!」

  (顔を、少し上げて)「わたしの娘は、ひとり、です!」

 

この場面の松雪泰子さんに、僕は2018年のテレビドラマ最優秀演技賞を差し上げたいと思います。

ここは、「かぶせ」というセリフ発声で、とても難しいのです。

相手のセリフの言い終わる寸前に、自分のセリフをギュッと言い出さなければいけない。

早すぎたら単なる身勝手になる、遅すぎたら気持ちが乗らなくて嘘くさくなる。

相手のしゃべりに、自分の身体の息吸いを合わせながら、オフビートで声を出します。

まさしく、0コンマ何秒かの間(ま)の芝居です。

長い間やっている俳優さんでも、なかなか決まらない演技なんですね。

で、松雪さんのこの演技は、ホントに素晴らしいものでした。

 

もちろん、松雪さんのこの名演技を産んだのは、北川悦吏子さんの脚本です。

「みなさんの話はどうでもいいっ!」

これも、簡単に書けるセリフではありません。

母親のエゴイズム、そうですよね、本当の愛情は個別的で特殊でエゴイスティックなもの。

 

今後の東京篇にも期待

半分、青い。』は、健常者として生まれた楡野鈴愛(にれのすずめ)という主人公が、小学3年の時に左耳の聴力を失いながらも、おさななじみや家族に囲まれて明るく成長してゆく、という物語です。

これ、日本のドラマとしては、特にNHKの朝ドラとしては大変に難しい設定です。

と言うのは、病気や障害というものは、本当に個人的なことがらで、当事者やその家族でないと理解できないほどの複雑な感情を伴うもの、だからです。

決して、一般論では語れないし、語って欲しくないものです。

 

そして、この設定でドラマを進行してゆく背景に、北川悦吏子さん自身が聴神経腫瘍のために人生の半ばにして左耳の聴力を完全に失った、という事実があることも書いておきます。

もちろん、実人生での出来事と、表現作品の出来の良し悪しとは別のものですが、『半分、青い。』は、脚本家・北川悦吏子の実人生を畑にした素晴らしい表現産物です。

通常の朝ドラなら、子役時代を1週間にして大人の俳優にスライドさせるのですが、『半分、青い。』では、それに2週間12話をかけました。

それは、小学3年生で左耳が聴こえなくなった、という主人公のそれまでの生活をしっかりと描いておかないと、それ以降の生活がリアルに描けないのだ、という演出陣の考えの現れに他なりません。

そして、ややもすればシリアス一辺倒におちいりがちな「病気もの・障害もの」を、生活感あふれる「岐阜ことば」でリアリティを担保し、軽やかなコミカルさで明るく味付けしています。

 

難しいテーマ設定に取り組んでいるNHK朝ドラ班のスタッフに敬意を表するとともに、東京篇でも、笑いと涙を運んでくれるよう、エールを送りたい、と思います。

 

大阪人は、「文字の言葉」にも笑いのセンスが溢れてますわ!

いそがしさにかまけて、ブログ書くのを怠ってましたら、何人かの方から、「倒れてるんちゃうか?」とか、「生きてるか?」との、お気づかいをいただきました、ありがとうございました。

大学の新学期が始まったのと、次に出そうと思っている本の原稿書きに追われてましたものでして。まだ追われてますけど。

 

で、久しぶりに、「ええセンスしてるわぁ」と思う物を、つづけざまに見つけたので、是非。

 

まずは、これ。

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行きつけのローソンに、タバコを買いにいったら、求人広告が貼ってありました。

「ミュージシャン」だけでなく、「若手芸人・劇団員」、というフレーズが、なんとも大阪らしくて嬉しくなりました。

そうかぁ、そんなに、色んなところで人手が足りないんだなぁ、と思うのと同時に、若手芸人と劇団員は、やっぱりメシ食えてない、と思われてるのかなぁ、とも考えたり。

でも、この「文字の表現」のセンスを、私はとてもいいと思います。

 

次は、このあいだ、大阪の南久宝寺を歩いていた時に見つけたもの。

噂には聞いていたのですが、初めて見たんです、「50円自動販売機」を。

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で、思わず笑うてしもうたのが、サンプル缶コーヒーに貼ってあったポップ!です。

 

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「あたためときました、by秀吉」

「いつ買うのん? 今でしょ!

「おいしさ倍返し!」

「ホットけない安さ!」

さすが大阪、上手い。

関西人は、「書き言葉」でも関西弁を使おう、という気概にあふれていますよねぇ。

これが、ホントの「言文一致」!

 

そして、今日、阪急バスに乗っていて、何気なく道路脇を見ていたら、シャッターの閉まっている美容院がありました。

そうか、今日は月曜日だからなぁ、お店休みだよな、とぼんやり見てて、そのシャッターに貼ってある紙の文字をよく見たら、

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えーっ!

「従業員募集」ではないのーっ?

「お客様、大募集中!」ってかぁ!

どういうことぉーっ!?

 

携帯でシャメを撮る間もありませんでした。

やっぱ、大阪人の言語感覚は、オモロイわ、と思ったのでありました。

ええ演出してはりますわぁ!――『99.9 刑事専門弁護士』

テレビドラマの、「日曜劇場」『99.9 刑事専門弁護士 SEASONⅡ最終回』についてです。

www.tbs.co.jp

リアルタイムでOAを見れなかったので、録画したものを3日遅れで見ました。

 

これは、上手い!です。

演出が抜群にうまい!です。

木村ひさし氏の演出が随所で冴えていました。

野球にたとえると、球速145キロの直球を軸にして、スゥーッと曲がるスライダー、キュッと喰い込むシュート、ストんと落ちるフォーク、各種の球がピシピシと決まる鮮やかな配球で、2時間SPあっという間に見終えました。

 

そして、見終えたあと、タバコを1本吸ってから、何か所も見直してしまいました。

テレビ業界で長い間仕事をしてきた人間としては、毎週OAに追われながら番組を作る作業の連続なので、完成度の高い作品を産みだすのがいかに難しいかが良くわかるのですが、これは間違いなく「演出家・木村ひさし」氏のテレビドラマ代表作と言えるでしょう。

 

ただ褒めているだけでは芸がないので、僕の感心した所を少し詳しく。

 

テレビドラマという形式の勝利

『99.9 刑事専門弁護士』は、0.1%の可能性に賭けて事実を追求する弁護士たちを描くという、リーガルドラマもの。

ややもすれば、重厚一辺倒になりやすい筋書きを、松潤の「いただきマングース」なんていう軽口と、片桐仁の「明石、はいりまーす」なんていう脇役たちのキャラクターが、軽やかさで救っているドラマです。

 

で、事件の解明に欠かせないトリックの設定は、あのドラマ・映画『TRICK』蒔田光治(まきたみつはる)があたっていて脚本が宇田学(うだまなぶ)。

彼らの仕掛けたトリックを見抜くのが、このドラマを見る楽しみの一つであり、解明された事実でもって判決がひっくり返る法廷シーンの爽快さが真骨頂。

 

とは言いながら、全9話のなかで、「うーん、それはちょっと」と思うものも何回かあったのですが、この最終回は「あー、なるほどぉ、そうくるか」と、僕はとっても良き視聴者になったのでありました。

伏線の設定がうまい、その回収のしかたがうまい。

(まだ見ていない人、少々ネタばれになることをお許しくださいね)

真犯人の特定にいたるヒントの「火災時の携帯画面の映像シーン」なんか、一回目に見た時は「えっ、何が写ってるんだろう」とじっと目を凝らしていたんですが、わかりませんでした。だから、その後の展開も読めませんでした。

全部見た後で、もう一回、その場面の画面を見てもまだよくわからなくて、スロー再生で何回か見てやっとわかったんです。

で、その「キーポイント」となる画面は、わずか0.2秒!

業界用語で言えば、30フレームのうち、5フレーム。

これって、凄い!んです。

何が凄い、って、演出家の根性がスゴイんです。

テレビって、わかりやすくわかりやすく作るのが当たり前とされていて、「番組であって、決して作品ではないんだぞ」と言われ続けてきたんですね。

2時間サスペンスで、始まって20分で犯人がわかる理由はここにあります。

それを、堂々と無視して、しかも後ではしっかりと回収している。

しかも、見事に映像によって、謎を解き明かしているのです。

 

僕は「テレビドラマ」という形式の、一つの勝利の形だと思います。

 

鶴瓶の関西弁の威力

さて、演出家の仕掛ける技に応えた俳優たちの演技も見逃してはいけません。

「東京ことば」で展開されるこのドラマに、ただ一人、堂々たる関西弁で話す笑福亭鶴瓶

鶴瓶扮する裁判官の話す「ええ判決せえよ」の一言が、ややもすれば陳腐な定型に陥りそうな、「裁判官・検察官・弁護士」のトライアングルに絶妙の人間味を与えているのです。

 

そして、最終回では、「ええ判決させてもらいました」

それが一抹の良心からきたものか、成り上がりたい上昇志向からきたものなのか、木村演出は、単純な解釈を許さずに視聴者の前に投げ出します。

 

鶴瓶扮する川上裁判官が、誰も居ない法廷で、ゆっくりと頭(こうべ)を巡らすシーン。

事務総長の椅子にすわって、じんわりと笑う顔、眼鏡の奥で感情の読み取れない目。

鶴瓶さん、ええ芝居、してはりますわ!

そして、川上裁判官の異例の出世を報じている新聞記事の文中には、さりげなく「京都大学法学部卒」と、彼が関西出身で関西弁を使うことの必然性を入れこんでいる、という演出芸の細やかさ。

このあたりが、いいドラマを産み出す演出者たちの力なんですね。

 

香川照之も、やっぱり芝居巧者ですね。

アジアンの馬場園梓も、とても自然な演技をしてました。

 

 おちゃめな演出も

忘れてならない、演出の小技を。

ちょい役として出てもらうゲストの使い方もうまい、んですね。

新日本プロレスの選手たちの登場はいつものことですが、最終話では、事件解明のヒントになる「横浜ベイスターズ・サヨナラ逆転シーン」のために、ハマの番長三浦大輔が。

少し偏執的な火災専門家に片桐はいり

エンディングシーンには前回シリーズレギュラーだった榮倉奈々

 

そして、僕が「えっ、ひょっとして」と思ったのは、

エンディングシーンで、次の事件のための被疑者に会いに行った木村文乃弁護士の前に現れた依頼人の地味な女性、

「では、生い立ちからお願いします」「生い立ち?」

「ご出身は?」

「トルコです」

「トルコ?」

「5歳までイスタンブールに居ました」

イスタンブール?」

 

わずか、23秒の登場シーン。

僕たちの世代なら誰もが知っているでしょう、あの大ヒット曲「飛んでイスタンブール」の庄野真代さん、その人なのでありました!

 

ひさしぶりに、民放のドラマで堪能しました。

テレビは、捨てたもんじゃないよね、と僕はしみじみ思ったのであります。