吉村誠ブログ「いとをかし」

元朝日放送プロデューサーで元宝塚芸術大学教授の吉村が、いろいろ書きます。

日大アメフト部の監督・コーチの記者会見、について

日大アメフト部の悪質タックル問題については、新聞やテレビやネット上で既に多くの人が発言をしていますが、現在大学の教壇に立つ者の一人として、私は大変な怒りを感じており、このブログで私の考えを述べます。

 

結論を先に言うと、日大アメフト部の内田監督と井上コーチ、ならびに12人のコーチは大学教育に携わる資格もないし、およそ教育に携わるべきではないし、即刻退場すべきだと、私は考えます。

そして、今、大学教育に関わっている者はそれぞれの立場からこの問題に対する自分の考えを明らかにすべきであり、特に日本大学で教員の立場にある人たちは自分の考えを明らかにする責務がある、と考えます。

ことは、それほど大きな問題だと思うのです。

 

内田監督と井上コーチの記者会見

23日に行われた内田監督と井上コーチの記者会見での発言が、どれほど不誠実で愚劣なものであったかは、もはや誰の目にも明らかです。

ここでは、私なりの解析を付け加えます。

私は大学で、「ことば・言葉」から、コミュニケーション表現と表現の意図を読み取る、という講義をしています。

それは、実際に「話されたことば」、実際に「文字で書かれた言葉」から、その表現を発した人間の意図を読み解く、というものです。

 

この視点から見ると、22日に行われた宮川泰介さんの記者会見と、23日に行われた内田監督・井上コーチの記者会見、との落差は明瞭にわかります。

まず、宮川泰介さんの会見での発言では、

「監督から『日本代表に行っちゃダメだよ』と言われました」や、

「井上コーチから、『監督に、お前をどうしたら試合に出せるか聞いたら、相手のQBを1プレー目で潰せば出してやると言われた』と言われました」など、

監督やコーチが実際に「話したことば」が、きちんと記述されています。

 

それに対して、内田監督と井上コーチの会見での発言は、

「『相手のQBを1プレー目で潰したら出してやる』とは言っていない」や、

「『相手のQBがけがをして秋の試合に出られなくなったらこっちの得だろう』とは言っていない」とかで、

記者からの、「それでは、何と言ったのですか?」という質問には答えていません。

つまり、内田監督と井上コーチの会見の意図は、宮川さんの発言を否定することが目的であり、自分たちが実際にしゃべった「ことば」の事実確認にはないことが分かります。

どのように取り繕おうとも、内田監督と井上コーチと日大経営陣は、反則行為の責任は解釈間違いをした宮川泰介さんにあるのだ、という論理を展開していることが明らかです。

 

日本の情報化社会の現状を知らない日大人

今日、私は授業の中で、両者の記者会見での発言を比較対照して解析しました。

受講している多くの学生たちは、この問題については皆が強い関心を持っていました。

それは、事件の場が大学という場であること、宮川さんが20歳の大学生であるということ、からして多くの学生たちが親近感と当事者意識を持ってこの事件を見ていることを表しています。

そして、多くの学生たちが、新聞やテレビといったマスメディアからだけではなく、SNSによって、早く詳しく情報を得ているのです。

 

内田監督、ならびに日本大学の関係者諸氏は、現在の日本の情報社会の現状について無知、もしくはなめている、と言うしかありません。

誰が考えたのか、午後8時という会見時間の設定も、これまでのようなマスメディア認識からすれば、最もテレビ生中継されにくい時間を選んだつもりなのでしょうが、SNSの広まっている現状からすれば全く意味をなしていないのです。

 

旧態依然たるメディア感覚は、会見を司会していた人の対応にも表れていました。

あの方が、米倉久邦(よねくらひさくに)という人で、共同通信社論説委員長をして2002年に退社して現在は日大広報部の顧問をしている76歳だ、ということが新聞やテレビよりも早く、ネットを通して世間に知れるのが、今の日本の情報化社会なのです。

あの米倉さんの司会進行ぶりと、その意識がいかに時代遅れのものであるかが、日本大学という組織の現状を露呈してしまいました。

 

それは、米倉さんが、会見を無理やり打ち切って、予定どおりに会見最後の「内田監督と井上コーチの今後」についてを語るところにも表れていました。

「第三者委員会を立ち上げて、その結論が出るまでは謹慎して常務理事を一時停止して、その後は大学の決定にしたがいます」

もっともらしい発言の背後に、自分に都合の良いメンバーを選んで第三者委員会という体裁を整えて、それで禊が済むまではおとなしくしておけば世間は忘れるだろうから、という意図があるくらいは子どもにでもわかります。

さらに内田監督は日大の常務理事であり、「大学の決定」というのも自分の意思を反映させたものに出来うる立場です。

内田前監督と日大経営陣は、世間をなめきっています。

このような人たちが大学という教育機関に携わっていることに驚くばかりです。

 

最大の被害者は日大生

こんな日本大学に、危機管理学部が存在しているとは、もはやギャグでしかありません。

学生諸君に罪はないのですが、残念ながらこれから日大生の諸君は大きな被害をこうむることを覚悟しなければならないでしょう。

現在、就職活動中の日大の学生さんは、エントリーシートに「日本大学・危機管理学部」と書くだけで、相当のビハインドになることを覚悟しておいてください。

それは、新入社員を採用しようとする企業の立場に立てば、自分の会社の危機管理からして当然のことなのです。

日大の学生を新入社員で採ったとして、社外にその社員を紹介するとき、あるいはその社員が営業で社外で自分の経歴を紹介するとき、もしかしたらその社員を採用した会社ごと適切な評価を得られない可能性があるからです。

同程度の志望者のエントリーシートが100枚並んでいるとしたら、企業の採用担当者は、自分の会社のことを考えて選択するのは止むを得ないのです。

だからこそ、最初に書いたように、今、最も声を出さなければならないのは日本大学で教員をしている人たちなのです。

勇気を持って、一人で、日本記者クラブの会見席に出て、同席していた弁護士にも頼らずに堂々と会見をした宮川泰介さんを守るためだけではなく、現在日本大学に籍を置いている学生すべてを守るために、日大の先生たちは頑張らなければならないのです。

 

教育者とは、学識や知識を教える前に、人間としての生き方を教えるべき者でなければならないのです。

今回の、日大アメフト部の問題は、単にひとつのラフプレーを巡る問題にとどまるものではなく、日本の大学教育全体に関わる、とても大きな問題なのだ、と私は考えています。

朝ドラ『半分、青い。』に、すっかりはまってもうたわ!

今期の、NHK朝ドラ半分、青い。岐阜篇に、はまってまいました。

いいです、いいです、ホントに素敵です。

 

4月の後半が、なんだかんだと忙しかったので、溜まっていたドラマをGWにまとめて見たんですが、半分、青い。で泣かされました。

そして、何度も「うまい!」「これはスゴイ!」と唸らされました。

脚本・演技者・演出陣、に拍手!です。

 

テレビの演出やプロデュースを35年やってきたので、バラエティを見てもドラマを見ても、どうしても業界人ぽく創り手の立場から見てしまうのですが、よく出来た番組はそんなことをすっかり忘れさせてくれて、単なる一人の観客にさせてくれます。

半分、青い。』は、創り手の意図や狙いがわかった上で、泣けて笑えるドラマです。

 

「母」なるもの

まず、圧巻のシーンを一つ。

5月3日(木)の放送シーンから。

左耳が聴こえないというハンディを背負っている娘の鈴愛(すずめ)の東京行きを許す、というシーンで、母親の晴(はる)さんが言うセリフです。

 

「あーたは、楽しいばっかりで、いいねぇ。

(ハァー、とため息をついて)おかあちゃんは、

(スン、と鼻をすすって)おかあちゃんは淋しくてたまらん。

 あんたは、もう、18かも知れんけど、おかあちゃんの中には、

 3つのあんたも、1つのあんたも、13歳のあんたも、

 全部いる、

 まだいる。

 (少し、間があって)

 おとなや、もう大人や、言われてもーー」

(晴さん、両手で顔をおおって、足早に茶の間を出ていく)

 

晴さんを演じる松雪泰子、渾身の演技です。見ていて、泣かされました。

母親というものは、こういうものなんだろうなぁ、と男の私はしみじみと思いました。

 

で、このセリフ!です。

「全部いる、」

「まだ居る。」

これ、書けないですよ。こんなセリフは、なかなか書けるものではありません。

聞いてて、私、痺れてまいました。

脚本家・北川悦吏子の、脚本家人生に残る会心の名台詞、だと思います。

これは、北川悦吏子さんその人が、持病に悩まされながら生きてきて、「こどもは産めないですよ」と言われていながらも奇跡的にこどもを授かった、という事実を知る時に、まさしく「人生で書いたセリフ!」なのだ、と感嘆してしまいました。

 

2018年テレビドラマ最優秀演技賞は松雪泰子

もう一つ、これも母親・晴さんのセリフ、です。

それは、4月12日(木)の第10話でした。

小学3年生になった娘の鈴愛(すずめ)が、おたふく風邪ウイルスの感染からくる「ムンプス難聴」で、左耳を失聴してしまい、そのことを医者から告げられる場面、です。

 

医者「しばらくはバランスが取りにくくなる。たとえば、自転車や階段など、日常生活に気をつけてあげてください。ただ、これは、やがて時がたてばーーー」

晴 「(はァ、と息を出して)なんでぇー、(ヒュッ、と息を吸い)なんで、あの子はこんなことになったんですか?」

医者「ですから、おたふく風邪のウイルスがーー」

晴 (そのセリフ尻にかぶせて)「そんなこと聞いとらん!」(じっと唇を噛みしめる)

医者「おかあさん、実は、片耳聴こえない患者さんは結構いらっしゃいます。

   しかし、みなさん頑張ってーー」

晴 (そのセリフ尻にかぶせて)「みなさんの話はどうでもいいっ!」

  (顔を、少し上げて)「わたしの娘は、ひとり、です!」

 

この場面の松雪泰子さんに、僕は2018年のテレビドラマ最優秀演技賞を差し上げたいと思います。

ここは、「かぶせ」というセリフ発声で、とても難しいのです。

相手のセリフの言い終わる寸前に、自分のセリフをギュッと言い出さなければいけない。

早すぎたら単なる身勝手になる、遅すぎたら気持ちが乗らなくて嘘くさくなる。

相手のしゃべりに、自分の身体の息吸いを合わせながら、オフビートで声を出します。

まさしく、0コンマ何秒かの間(ま)の芝居です。

長い間やっている俳優さんでも、なかなか決まらない演技なんですね。

で、松雪さんのこの演技は、ホントに素晴らしいものでした。

 

もちろん、松雪さんのこの名演技を産んだのは、北川悦吏子さんの脚本です。

「みなさんの話はどうでもいいっ!」

これも、簡単に書けるセリフではありません。

母親のエゴイズム、そうですよね、本当の愛情は個別的で特殊でエゴイスティックなもの。

 

今後の東京篇にも期待

半分、青い。』は、健常者として生まれた楡野鈴愛(にれのすずめ)という主人公が、小学3年の時に左耳の聴力を失いながらも、おさななじみや家族に囲まれて明るく成長してゆく、という物語です。

これ、日本のドラマとしては、特にNHKの朝ドラとしては大変に難しい設定です。

と言うのは、病気や障害というものは、本当に個人的なことがらで、当事者やその家族でないと理解できないほどの複雑な感情を伴うもの、だからです。

決して、一般論では語れないし、語って欲しくないものです。

 

そして、この設定でドラマを進行してゆく背景に、北川悦吏子さん自身が聴神経腫瘍のために人生の半ばにして左耳の聴力を完全に失った、という事実があることも書いておきます。

もちろん、実人生での出来事と、表現作品の出来の良し悪しとは別のものですが、『半分、青い。』は、脚本家・北川悦吏子の実人生を畑にした素晴らしい表現産物です。

通常の朝ドラなら、子役時代を1週間にして大人の俳優にスライドさせるのですが、『半分、青い。』では、それに2週間12話をかけました。

それは、小学3年生で左耳が聴こえなくなった、という主人公のそれまでの生活をしっかりと描いておかないと、それ以降の生活がリアルに描けないのだ、という演出陣の考えの現れに他なりません。

そして、ややもすればシリアス一辺倒におちいりがちな「病気もの・障害もの」を、生活感あふれる「岐阜ことば」でリアリティを担保し、軽やかなコミカルさで明るく味付けしています。

 

難しいテーマ設定に取り組んでいるNHK朝ドラ班のスタッフに敬意を表するとともに、東京篇でも、笑いと涙を運んでくれるよう、エールを送りたい、と思います。

 

大阪人は、「文字の言葉」にも笑いのセンスが溢れてますわ!

いそがしさにかまけて、ブログ書くのを怠ってましたら、何人かの方から、「倒れてるんちゃうか?」とか、「生きてるか?」との、お気づかいをいただきました、ありがとうございました。

大学の新学期が始まったのと、次に出そうと思っている本の原稿書きに追われてましたものでして。まだ追われてますけど。

 

で、久しぶりに、「ええセンスしてるわぁ」と思う物を、つづけざまに見つけたので、是非。

 

まずは、これ。

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行きつけのローソンに、タバコを買いにいったら、求人広告が貼ってありました。

「ミュージシャン」だけでなく、「若手芸人・劇団員」、というフレーズが、なんとも大阪らしくて嬉しくなりました。

そうかぁ、そんなに、色んなところで人手が足りないんだなぁ、と思うのと同時に、若手芸人と劇団員は、やっぱりメシ食えてない、と思われてるのかなぁ、とも考えたり。

でも、この「文字の表現」のセンスを、私はとてもいいと思います。

 

次は、このあいだ、大阪の南久宝寺を歩いていた時に見つけたもの。

噂には聞いていたのですが、初めて見たんです、「50円自動販売機」を。

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で、思わず笑うてしもうたのが、サンプル缶コーヒーに貼ってあったポップ!です。

 

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「あたためときました、by秀吉」

「いつ買うのん? 今でしょ!

「おいしさ倍返し!」

「ホットけない安さ!」

さすが大阪、上手い。

関西人は、「書き言葉」でも関西弁を使おう、という気概にあふれていますよねぇ。

これが、ホントの「言文一致」!

 

そして、今日、阪急バスに乗っていて、何気なく道路脇を見ていたら、シャッターの閉まっている美容院がありました。

そうか、今日は月曜日だからなぁ、お店休みだよな、とぼんやり見てて、そのシャッターに貼ってある紙の文字をよく見たら、

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えーっ!

「従業員募集」ではないのーっ?

「お客様、大募集中!」ってかぁ!

どういうことぉーっ!?

 

携帯でシャメを撮る間もありませんでした。

やっぱ、大阪人の言語感覚は、オモロイわ、と思ったのでありました。

ええ演出してはりますわぁ!――『99.9 刑事専門弁護士』

テレビドラマの、「日曜劇場」『99.9 刑事専門弁護士 SEASONⅡ最終回』についてです。

www.tbs.co.jp

リアルタイムでOAを見れなかったので、録画したものを3日遅れで見ました。

 

これは、上手い!です。

演出が抜群にうまい!です。

木村ひさし氏の演出が随所で冴えていました。

野球にたとえると、球速145キロの直球を軸にして、スゥーッと曲がるスライダー、キュッと喰い込むシュート、ストんと落ちるフォーク、各種の球がピシピシと決まる鮮やかな配球で、2時間SPあっという間に見終えました。

 

そして、見終えたあと、タバコを1本吸ってから、何か所も見直してしまいました。

テレビ業界で長い間仕事をしてきた人間としては、毎週OAに追われながら番組を作る作業の連続なので、完成度の高い作品を産みだすのがいかに難しいかが良くわかるのですが、これは間違いなく「演出家・木村ひさし」氏のテレビドラマ代表作と言えるでしょう。

 

ただ褒めているだけでは芸がないので、僕の感心した所を少し詳しく。

 

テレビドラマという形式の勝利

『99.9 刑事専門弁護士』は、0.1%の可能性に賭けて事実を追求する弁護士たちを描くという、リーガルドラマもの。

ややもすれば、重厚一辺倒になりやすい筋書きを、松潤の「いただきマングース」なんていう軽口と、片桐仁の「明石、はいりまーす」なんていう脇役たちのキャラクターが、軽やかさで救っているドラマです。

 

で、事件の解明に欠かせないトリックの設定は、あのドラマ・映画『TRICK』蒔田光治(まきたみつはる)があたっていて脚本が宇田学(うだまなぶ)。

彼らの仕掛けたトリックを見抜くのが、このドラマを見る楽しみの一つであり、解明された事実でもって判決がひっくり返る法廷シーンの爽快さが真骨頂。

 

とは言いながら、全9話のなかで、「うーん、それはちょっと」と思うものも何回かあったのですが、この最終回は「あー、なるほどぉ、そうくるか」と、僕はとっても良き視聴者になったのでありました。

伏線の設定がうまい、その回収のしかたがうまい。

(まだ見ていない人、少々ネタばれになることをお許しくださいね)

真犯人の特定にいたるヒントの「火災時の携帯画面の映像シーン」なんか、一回目に見た時は「えっ、何が写ってるんだろう」とじっと目を凝らしていたんですが、わかりませんでした。だから、その後の展開も読めませんでした。

全部見た後で、もう一回、その場面の画面を見てもまだよくわからなくて、スロー再生で何回か見てやっとわかったんです。

で、その「キーポイント」となる画面は、わずか0.2秒!

業界用語で言えば、30フレームのうち、5フレーム。

これって、凄い!んです。

何が凄い、って、演出家の根性がスゴイんです。

テレビって、わかりやすくわかりやすく作るのが当たり前とされていて、「番組であって、決して作品ではないんだぞ」と言われ続けてきたんですね。

2時間サスペンスで、始まって20分で犯人がわかる理由はここにあります。

それを、堂々と無視して、しかも後ではしっかりと回収している。

しかも、見事に映像によって、謎を解き明かしているのです。

 

僕は「テレビドラマ」という形式の、一つの勝利の形だと思います。

 

鶴瓶の関西弁の威力

さて、演出家の仕掛ける技に応えた俳優たちの演技も見逃してはいけません。

「東京ことば」で展開されるこのドラマに、ただ一人、堂々たる関西弁で話す笑福亭鶴瓶

鶴瓶扮する裁判官の話す「ええ判決せえよ」の一言が、ややもすれば陳腐な定型に陥りそうな、「裁判官・検察官・弁護士」のトライアングルに絶妙の人間味を与えているのです。

 

そして、最終回では、「ええ判決させてもらいました」

それが一抹の良心からきたものか、成り上がりたい上昇志向からきたものなのか、木村演出は、単純な解釈を許さずに視聴者の前に投げ出します。

 

鶴瓶扮する川上裁判官が、誰も居ない法廷で、ゆっくりと頭(こうべ)を巡らすシーン。

事務総長の椅子にすわって、じんわりと笑う顔、眼鏡の奥で感情の読み取れない目。

鶴瓶さん、ええ芝居、してはりますわ!

そして、川上裁判官の異例の出世を報じている新聞記事の文中には、さりげなく「京都大学法学部卒」と、彼が関西出身で関西弁を使うことの必然性を入れこんでいる、という演出芸の細やかさ。

このあたりが、いいドラマを産み出す演出者たちの力なんですね。

 

香川照之も、やっぱり芝居巧者ですね。

アジアンの馬場園梓も、とても自然な演技をしてました。

 

 おちゃめな演出も

忘れてならない、演出の小技を。

ちょい役として出てもらうゲストの使い方もうまい、んですね。

新日本プロレスの選手たちの登場はいつものことですが、最終話では、事件解明のヒントになる「横浜ベイスターズ・サヨナラ逆転シーン」のために、ハマの番長三浦大輔が。

少し偏執的な火災専門家に片桐はいり

エンディングシーンには前回シリーズレギュラーだった榮倉奈々

 

そして、僕が「えっ、ひょっとして」と思ったのは、

エンディングシーンで、次の事件のための被疑者に会いに行った木村文乃弁護士の前に現れた依頼人の地味な女性、

「では、生い立ちからお願いします」「生い立ち?」

「ご出身は?」

「トルコです」

「トルコ?」

「5歳までイスタンブールに居ました」

イスタンブール?」

 

わずか、23秒の登場シーン。

僕たちの世代なら誰もが知っているでしょう、あの大ヒット曲「飛んでイスタンブール」の庄野真代さん、その人なのでありました!

 

ひさしぶりに、民放のドラマで堪能しました。

テレビは、捨てたもんじゃないよね、と僕はしみじみ思ったのであります。

ハリウッド映画と日本のテレビドラマを、比べてはいけないけど

先週、アメリカのアカデミー賞が発表され、日本人として初めて辻一弘さんがメーキャップ賞を受賞したことが大きく報道されました。拍手!拍手!です。

で、その映画ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男

www.churchill-movie.jp

チャーチルを演じた俳優、ゲイリー・オールドマンは主演男優賞に輝きました。

 

ハリウッド俳優の役作りは「ことば」から

一般公開に先立って、試写を見ました。

スゴイ!って、何が凄いかと言うと、スクリーンに映ってしゃべっている人間が、かのウィンストン・チャーチルその人にしか見えないんですよね。

もちろん、僕は本物のチャーチルに会ったことはないんですが、きっとチャーチルと言う人はこんな人間だったんだろうなぁ、と素直に思えるんです。

 

授賞式で映っていたゲイリー・オールドマンを見た時にその別人ぶりに改めて驚きました。

それほどまでに辻さんのメイクは素晴らしかったのですが、もう一つ忘れてならないのはゲイリー・オールドマンの役作りの努力です。

 

彼は、チャーチルの演説が英国民の心にしっかりと届くようにするために、まずは役作りを「声」から始めた、と言っています。

そして、「アクセントから訛りまで完璧なチャ―チルのトーンで話しながら」撮影現場に現れた、のだそうです。

 

「ことば」は、その人の人生そのもの、です。

産まれ育った地域、家庭の社会的な階層、によって必ずその人なりに訛っています。

チャーチルなら、オックスフォードの公爵家に生まれアイルランドで幼少期を過ごしたという、彼だけの歴史を背負った「ことば」で暮らしていたはずです。

こういうところに、ハリウッド映画の「ことば」についての見識を、僕は痛感するのです。

 

「ことば」に無頓着な日本のテレビドラマ

さて、翻って日本のテレビドラマについて。

2月28日にNHK・BSで、埼玉発地域ドラマ「越谷サイコー!」が放送されました。

www.nhk.or.jp

NHKさいたまの制作という触れ込みでもあり、かなり期待して見たのですが、やはりザンネン!でした。

 

「越谷」だから、と言って僕が特別な「越谷なまり」を望んでいた訳ではありません。

が、あまりにも無思慮に、登場人物たちの誰もが「現代東京ことば」でしゃべっているのです。

 

お話は、埼玉県の越谷で長年続いている老舗の「伝助商店」を舞台に、おばあちゃんの病気をきっかけにして、若い孫娘が「わが町越谷」の魅力に気がついてゆく、というもの。

主人公の浦井加奈子には、あの『ひよっこ』で、有村架純のおさななじみ時子を演じて花開いた佐久間由衣。奥茨城訛りが可愛いかったです。

おばあちゃんの浦井良枝には竹下景子

おちゃめな幽霊として出てくるご先祖さま役に佐藤二郎

 

埼玉県は、今や東京のベッドタウンであるくらいに時間的にも東京に近いので、若い人が「東京ことば」にかなり近いことはよくわかります。

ですが、もともと埼玉県で暮らしている人たちの日常の「生活ことば」は、武州弁や茨城弁や秩父弁や群馬弁が混合しているのが自然です。

 

代表的な語尾でいえば、「~だいねぇ」とか「~だがねぇ」とか「~だべぇ」。

アクセントやイントネーションも微妙に「東京ことば」とは違います。

 

まして、竹下景子が演じていた良枝ばあちゃんは、産まれてからずっと越谷に住んでいる77歳なのですから、なにか訛りがあるのが自然です。

そして「伝助商店」に集う年寄りたちも、なにか訛りがあるのが自然です。

なのに、じいちゃんもばあちゃんも、みんな「現代の東京ことば」でした。

 

江戸時代から出て来たご先祖さまの伝助さんが、

「あのー、ウチがさぁー、日光街道の途中にあってさぁ」

「~しちゃってさぁ」「よくわかんないなぁー」

としゃべるのはファンキーなご先祖幽霊だから、と許せるかも知れません。

 

それにしても、これでは、いくら徳川家康の御屋敷跡や、三宮卯之助の力石や、桃の花の名所である川端、などの風景を映して、

「なんにもないように見えるけど、越谷には歴史があるんです」

「越谷は、いい町なんです」

と力説しても、「暮らしの魅力」は伝わらないのです。

それは、むりやりドラマの形を取った〈観光ビデオ〉でしかありません。

 

きっと「越谷」の町中の魚屋さんやコロッケ屋さんの店先では、そこで暮らしている人たちの、もっと活き活きとした会話が飛び交っていることでしょう。

川べりで犬を散歩させている人たちのすれ違いでは、もっと普段の挨拶ことばが交わされていることでしょう。

 

最近のNHKは、「地域再発見」や「新しいローカリズム」をうたって多くの番組を作るようになりました。

そのことはとても良いことだと思うのですが、制作者たちが取り組むべきは、美しい風景や歴史的建造物の皮相な紹介ではなく、「ローカリズム」の根本である「ことばと暮らし」について知ろうとする努力を深めることだ、と僕は思うのです。

ドラマ『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』が良かった!

いやぁ、何となく良さそうな予感がして、金曜日はドラマをリアルタイムで見たのです。
 

ytv・大阪よみうりテレビの60周年スペシャルドラマ『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』

良かった!です。
民放でも、これくらいのドラマが作れるんだ!ってことを実証してくれた出来でした。
東京キ―局には作れない内容のものでした。
 
その最大の理由は、ドラマの中の台詞のリアリティにあります。
やがては認められて世界的数学者となる岡潔(おかきよし)と、それを支えた妻みちの苦難と愛情の物語りなのですが、時代は戦前から戦中戦後、舞台は京都・奈良。
 
なので、当然のことながら登場人物たちの話す「生活ことば」は関西弁なまり、でなければいけません。
ですが、これが現在のテレビではなかなか出来ないのです。
それは、日本のテレビドラマのほとんどが東京キー局の制作によるもので、ドラマの中の「ことば」は「標準語、もしくは東京語」でなければならない、という間違った標準語主義が横行しているからです。
 
それに対して、昨夜の『天才を育てた女房』では、みち役の天海祐希岡潔役の佐々木蔵之介をはじめ、脇に生瀬勝久萬田久子内場勝則らを配して、登場人物の誰もが自然な「関西ことば」でしゃべっていました。
ドラマを見る方としては、これだけで一安心するのです。
 
「ちゃうのん?なんなん?」
「帰らへんのかいっ!」
「そうやったんか、やあらへん」
「きよっさん、ええかげんしいやぁ、もうあんたとは暮らしていけへん」
 
天海祐希は気丈な京女を、佐々木蔵之介は狂気と紙一重の数学者を実に活き活きと演じていました。
大人の役者がこうですから、3人の子役たちにも不自然さがありませんでした。
だいたい日本のドラマでは、子役がとても不自然な「標準語のセリフ」をしゃべるので、それだけで見ていて興ざめしてしまうんですよね。
 
で、最初と最後に、
「すみれはすみれ」
「スミレはスミレで、ただ咲けばええ、いうことです」
「でも、すみれは美しいなぁ」
ぴしっと決めてくれて、僕は思わずウルッときました。
数学者・岡潔の脳の中の思考を数字や図形で表すCGも効果的で、ハリウッド映画のようでした。
 
惜しむらくは、ドラマの最後ですね。
これだけの中味あるドラマだったのに、本編が終わったら5秒でCMの別音楽になる。
ハリウッド映画のエンドロールとまでは言いませんが、せめて1分間か30秒くらいは余韻を楽しむくらいのエンディングの作り方があるだろうに、と思いました。
 
でも、2018年になって見た民放ドラマの中では第1位の出来でした。
 
 

選手へのインタビューのことば

さてさて、これと対極的なのが『平昌オリンピック』です。
それは選手たちの競技そのものではなく、「選手へのインタビュー」です。
 
「今のお気持ちをお聞かせください」
「嬉しさをどなたに伝えたいですか」
 
日本のスポーツマスコミのインタビューは本当につまらない!です。
その理由が、インタビューするアナウンサー達の「標準語」にある、ということに早く気が付いて欲しいんですけどねぇ。
「情緒の裏付けのないことば」で聞かれたら、「嬉しく思います」とかいうよそゆきのことばしかかえってこないのは当然です。
 
選手たちへのインタビューを聞いていて、僕は思わず「金長・キンチョー」のかってのCMを思い出しました。
大滝秀治の演じるガンコ親父が、岸辺一徳演じる息子に、
『キンチョーはどうして水性にしたんだ?』と尋ねて、
息子が、
『それは地球のことを考えて・・・』と言い始めたとたんに、
『つまらん、おまえの話はツマラン』
『きれいごとを言うな』と怒る、あのCMです。
 
思うような演技や滑走ができなくて悔しさ溢れる表情の選手や、念願のメダルを手にして嬉しさが溢れるのを押さえられない選手を前にして、インタビューをするアナウンサーに対して、
『つまらん、おまえのインタビューは本当にツマラン!』
と何度も突っ込んだ僕でした。

NHK朝ドラ『わろてんか』を、業界人的に楽しんでます!

NHKの朝ドラ『わろてんか』が、終盤にさしかかり、やっと「女興業師・北村てん」の話になってきました。
で、登場する芸人たちが「笑芸・現代史」につながってき始めたので、僕は少し変わった楽しみ方でこの頃ずっと見ています。

それは、『わろてんか』に出てくる芸人たちは誰をモデルにしているのか、そして実際にあったエピソードをどのように翻案・脚色しているのか、を比べながら見るという、いわばちょっと業界人的な見方です。

数日分のOAを見た後で手にするのは、『吉本興業百五年史』
この本、吉本興業の社史編纂部の面々が厖大な資料を数年間かけて編年的にまとめたもので実に優れた「演芸資料本」です。
去年の12月に完成して、一般発売もされているものですが、お値段は1万円超。

個人で買うには、ちょっと高いですが、「お笑い」に関心のある人には絶対のオススメです。
800Pに及ぶ「笑芸」の記述と、貴重な写真の数々。
よく、まぁ、これだけの資料を集めたもんだ、と感心しながら見ています。

僕は、自分が『M-1グランプリ』始め幾つかのお笑い番組をやっていたこともあり、また特別寄稿をしたこともあり、一冊をありがたくいただいたので、それを数十ページずつ読んでいるんです。

で、これを読みながらドラマを見ると色んなことがわかります。
「キース・アサリ」のコンビが「しゃべくり漫才」を形にしてゆくのは、「横山エンタツ花菱アチャコ」のことですね。
着物から洋服への変化、「キミ・ボク」と口語体での呼び合い、日常をテーマにした新しさ。

エンタツアチャコ」の人気を決定づけた「早慶戦」が、ドラマ内では「相撲中継」になっていたのには少し笑ってしまいました。
いやぁ、実録物の脚色はかえって難しいもんだなぁ、と制作者に同情しました。

そして、先週の「ミス・リリコ&シロー」の誕生話。
これは「ミスワカナ・玉松一郎」の翻案ですよね。
おしとやかな美人女性が、しゃべりまくって相方の男をやり込める、という男女コンビ漫才の典型。
今、残っている写真を見ても「ミス・ワカナ」さんは綺麗で可愛い!

これが、後に「ミヤコ蝶々南都雄二」に引き継がれ、現在の「宮川大助・花子」につながるんですよね。

先々週あたりに出てきた「全国大漫才大会」。
見ていて、「あーっ、これって、まさに当時のM-1グランプリじゃん!」と感慨ひとしおでした。
『漫才のてっぺん取ったるわ!』というセリフを聞いた時に、これまで付き合ってきた芸人さんたちの顔が幾つか浮かんできました。


これまでの『わろてんか』は、松阪桃李演じる北村藤吉と、葵わかな演じる北村てん、との夫婦純愛苦労話で僕にはもうひとつ面白くありませんでした。
ドラマ展開のスピード感も乏しく、映像の作りもオーソドックスで、せっかく『ひよっこ』や『あまちゃん』で新風を吹き込んだ朝ドラが先祖帰りしたような残念さに満ちていました。
残る2ケ月の展開に期待したいもんです。


そうそう、もう一つ、とても個人的に嬉しかったことがありました。
それは、「風鳥亭」のたち上げ期に尽力した「怪力の岩さん」のことです。

「岩さん」を演じた役者さんは、岡大介さんと言います。
岡さんは、僕が20代の頃からの40年にわたる古く長い知り合いです。
まだ独身だった僕の新大阪近くのアパートに、数人で集まっては酒を飲んだりカード遊びをしたりした仲間です。
役者として、ホントに地道な苦労を重ねながらもなかなか陽が当たらず、それでも好きな役者を辞めないで今日まで続けて来た「ホントの役者バカ」です。

その彼が、NHKの朝ドラで、いい役をもらいました。
先々週、彼の出番の最後となる場面だったのでしょうか、画面は数秒間「岩さんのアップ」になりました。
多分、演出家の粋なはからい、だったのだと思います。

「大ちゃん、良かったなぁ、役者続けてて良かったなぁ、NHKでアップやでぇ」
その画面を見ながら、僕は不覚にも泣いてしまいました。

「お笑い」もそうです、「役者」もそうです。
産業社会の世間から見たら、何の生産的な物も産み出しはしない営みかも知れません。
ですが、そんな「芸能」が好きでたまらくて人生の情熱を賭ける人間がいるのです。
僕は、そんな「バカ」がたまらなく好きなのです。